
大原に着いた時、大原は雨上がりで、山には霧が掛かっていました。
私の大原のイメージは、山深いのどかな農村地帯。「錦繍の京都を
撮る」という写真撮影会でしたが、錦繍写真を撮っている群れを離れ、
いつものように独り田んぼや畑の中を歩いていました。霧がかかって
いる間が勝負!と、田んぼや畑の畦道を走り回っていました。
少し疲れてきています。写真の世界に‥‥。まだ扉を開けて入った
ばかりなのですが、思っていたより強烈な世界で、しかも、勝手が
わからないため、その空気の中に身を置くことが少々疲れますね。
だから、無意識に群れを避けているのかもしれません。正直、群れ
は苦手なんです。物を書く時は、独りですから...。
群れを離れると、自分の感性を頼りに、発想を盛り込みながら経験
を積んでいくしかないのですが、行き詰まって右も左もわからなくなり、
光の方向を見失っている時、身体のズレを光の方向に向け直してく
れる人は必要かな、って。それも自分で感じて、また光のほうに向か
なければいけないのでしょうか?写真。経験者も初心者も全く関係の
ない世界。同じベルトコンベアの上に乗っかって、物事は進められて
いきます。
韓国語をやっていた時、少しでもうまくなりたいからと、私は自分を
追い込んでいきます。くそまじめですからね。でも、そんなに急には
うまくなりませんよね。頭のできもよくないですから。行き詰まってい
ると、韓国語の先生に「鉄線さん、천천히、천천히ですよ!」って、
よく言われました。私より9つ下の人でしたが、物事をよくわかって
おられる思慮深い賢い人でした。천천히は、ゆっくりという意味なん
ですね。自分でもそれはわかっているのです。自覚しているのです。
천천히。でも、そうゆっくりもしていられなくて。20代が過ぎ、30代が
過ぎ、そして、40代。人並みにいまだに何も持ち合わせていないもので
その焦燥感が自身を早く、早くと追い立てています。人生の峠を越えて、
坂を下り始めた感がありますから、時間がない!と心のどこかでいつも
感じています。昔から人生を生き急いでいるようなところがあり、書くこと
に、あっという間に20年を費やしてきたことを思うと、천천히、천천히と
暢気に構えている時間はない、と思ってしまうのです。
時間には限りがあります。自分のことだけでなく、人それぞれ人生の始
まり時間も終わり時間も異なります。写真を撮りながら천천히、천천히
と思いつつ、今、少しでも何かを得たい、つかみたいと無意気に突っ走っ
てしまう自分がいます。私の性分なのでしょうね。とても不器用です。
群れの中で、전하のそばにいて、色々と学びたいと強く思っているのに、
実際は群れを離れ、あれこれつぶやきながら、ブツブツぼやきながら、
単独で動くあまのじゃく...。いつも전하のそばにいて、うまく撮っている
人を見ると、正直羨ましいですね。私はそれがなかなかできないですね。
恋愛も同じですね〜。放っといてほしいくせに、放っておかれると寂しい。
甘えたいのにうまく甘えられない。あははは。どないやねん、って感じな
んですが、まぁ、厄介な性格ですわ〜。
ほんでもって、講評会に持っていく錦繍写真がない!と焦っても仕方ない
ですよね?!しばらく写真撮らないのも、またいろんなことが見えてくるか
もしれませんね。写真展の写真も決まっていないのに、いけるんかいな!
そんなことを思うと、また寝られなくなりますね〜。あははは。
鉄線