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"旅の出合い 明日への活力に"
- 2017/08/14(Mon) -
IMG_7914宍道湖
                                                 
~旅の出合い 明日への活力に~
 
  「綿婚式」を迎えた先月、休暇を利用して夫と二人で鳥取、島根に
出かけた。旅のお目当ては、植田正治写真美術館と出雲大社であり、
いつか訪れたい場所として、懐の中の「旅」という引き出しに仕舞われ
ていた。

  子どもの頃から旅に縁がなく、昭和45年開催の大阪万博は引き出
しの奥に残ったままである。行きたい場所に行くことができるというのは
幸せなことであり、奇跡である。ぼんやりとした想像の世界が現実に取
り込まれ、書き換えられてゆく。その日、山陰の空は長年思い描いてき
たのと同じ鈍色をしていて、酷暑だが物静かで穏やかな雰囲気を醸し
出していた。

  不意の出合いは旅に厚みを与えてくれる。松江城二ノ丸に建つ興雲
閣(松江郷土館)。明治建築のペパーミント色の洋館で、その美しさに足
は自然と向かった。入るや否や2階からピアノの音色。100年ほど前に
作られたチェコ製のピアノ「ノヴィー」の調律が大広間の端っこで黙々と
行われていた。

  ピアノの調律風景は珍しく、暫く見学させていただいた。調律師との
やりとりは誠実で心地よく、山陰に感じた穏やかな空気感を持ち合わせ
ていた。旅の厚みや奇跡のひとときは湧き上がる源泉の一部となって
明日への活力、エナジーとなる。(了)  

                            鉄線

(※2017/08/14・徳島新聞「読者の手紙」に掲載済)



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"旬と初物という美しい響き"
- 2017/07/02(Sun) -
IMG_7718野菜

~旬と初物という美しい響き~
 
  高い安い、美味い不味いは別にして、一年を通して食べることの
できる野菜は子どもの頃と比べ格段に増えた。その代わりに私たち
は季節感や旬本来の趣を失いつつある。

  6月は新じゃがの実りの頃であり、わが家でも既にメークインや男
爵を収穫した。定番メニューの肉じゃがやコロッケも旬である今頃が
最も美味しい。新じゃがの初物はシンプルに煮っころがしにして食べ
た。

 「初物七十五日」。わが家の畑は猫の額ほどの広さだが、四季折々、
縁起の良い食べ物とされる初物や、旬の野菜を口にできる環境であ
ることにささやかな幸せを感じている。

  先日、那賀町の生家に畑の様子を見に行った際、母方の親戚に
立ち寄った。互いの近況を話した後、「初もんやけんな」と、伯母は
キュウリとナスを惜しげもなく持たせてくれた。無病息災、自分たち
で食べれば良いのにと思いつつ、初物という美しい響きの奥にある
気持ちが何とも嬉しかった。

  伯母にもらった曲がったキュウリやナスは、どれもみずみずしく、
香り豊かだった。食べた瞬間、旬の野菜だけが持ち合わせている
風味や食感が、子どもの頃に暮らした山あいの夏の香りや記憶を
次から次へと蘇らせてくれた。(了)

                            鉄線

(※2017/07/02・徳島新聞「読者の手紙」に掲載済)



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"京都・東山周辺を散策して"
- 2017/06/09(Fri) -
DSC09777京都

~京都・東山周辺を散策して~
 
 先日、京都に出かけた。米国から日本へ約60年ぶりに里帰りした
安土・桃山時代の絵師、海北友松の「月下渓流図屏風」が見たかっ
たからだ。物の見方、感じ方というものは時代が変わっても変わるも
のではないのだと、友松の作品を見ながら何とも言えぬ喜びが湧き
上がってきた。
 
 500年前の朧月の下には松や竹、梅や椿、清冽な渓流の傍らには
つくしやたんぽぽ。早春の夜明け前のしなやかな風景の中に、聞こえ
るはずのない雪解け水の流れや、梅や椿の香(かぐわ)しい匂いまでも
鼻先に立ち上がってきて、大いに得心した。

 鑑賞後、東山周辺を散策した。京都は学生時代を過ごした地であり、
訪れたことのなかった古刹や狭い町筋を巡っていると、絵を見ている
時とは対照的な感情が浮かんできた。町家は30年の齢(よわい)を重
ね、かなり大人しくなったような気がした。当時はなかった垢抜けた建
物の間で身を竦め、密やかに生きているような印象を受けた。
 
 時間という大きな流れの中で私たちは日々変わらないもの、変わり
ゆくものに一喜一憂しながら生きている。自分が良しと感じているもの
を過去の中に垣間見た時、それは揺るぎない自信となって生きるエナ
ジーとなる。(了)
                              鉄線

(※2017/06/09・徳島新聞「読者の手紙」に掲載済)


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引き出しの中の出羽島
- 2017/05/25(Thu) -
IMG_7337teba.jpg

 7年ほど前、小4の夏に訪れた出羽島に行ってみよう、と
思い立ち、その頃、まだ足の達者だった母を連れて牟岐まで
出かけた。出羽島は「桜谷小」というラベルの付いた心の引き
出しに納められ、ずっと気になってきた記憶である。

7年前にその引き出しを開け、奥から引っぱり出してきてから
は毎年、私は出羽島を訪れている。牟岐・出羽島アート展が
開催されるようになる少し前のことである。その現代アート展
も運営体制が整わぬということで今春は行われなかった。

  1年ぶりに出羽島を訪れた。エネルギッシュなアロエの花
咲く頃に時間の都合が付かなかったことを残念に思いながら
の渡島だったが、名残の桜が出迎えてくれ、思いがけない誕
生祝いとなった。島には大正時代に建造されたという石積み
の堤防が残っており、その堤防から眺める島の玄関口の海色
が時を忘れるほどの美しさであり、安らぎの青である。

  今回、集落の中に更地を見つけ胸が痛んだ。私は家と家が
醸す空間、飾り気のない素の空間である路地が好きであり、
カレーや焼魚の匂いがしてくる路地に立ち、眺めているとホッ
とする。出羽島の路地もまた生きているという幸せを感じさせ
てくれる。(了)
                          鉄線





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"風景や移ろいに無常を実感"
- 2017/04/25(Tue) -
IMG_3495代田

~風景や移ろいに無常を実感~
 
 一枚、二枚、三枚…自宅から見える代田に日ごと水が張られていく。
刻々と変化する美しい自然をより美しく映し出す水田は水鏡のようであ
り、清々しく明るい気に満ちた清明の頃に相応しい光景である。

 人生も後半になると、美しい風景を目の当たりにするたび、あと何回
見ることができるだろう、と考えるようになった。阿南市明谷の梅はあと
何回、神山町江田の菜の花はあと何回、つるぎ町柴内の桜はあと何回
というふうに。

 しなやかな美しさの奥に秘められた硬い芯のような無常を実感できる
齢になってくると、ものはこれまでと違った姿を見せるようになり、自ずと
接し方も変わってくる。齢を重ねるということは自分の意思とは関係なく、
様々な変化を余儀なくされることでもある。

 なかなか片付けられない変化を整理してくれるのは時に花鳥風月で
あったり、時に山川草木であったりする。それらもまた、日々変わりゆく
ものであり、私たちは変化の中で一生を過ごす。変わらないことのほう
が寧ろ可笑しく、変わることを恐れてきた前半が今思えば愚かである。
昇る陽、沈む陽のように、無常を淡々と受け入れたいものである。(了)

                              鉄線

(※2017/04/25・徳島新聞「読者の手紙」に掲載済)


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