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"水崎廻り 変わらぬ八十八体"
- 2018/05/13(Sun) -
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~水崎廻り 変わらぬ八十八体~
 
 一年を通して旧暦を意識する日がある。弘法大師空海が入定
した旧暦三月二十一日である。那賀町水崎では毎年、この日に
正御影供を行い、ハート型の町道周囲七キロ沿いに設置された
ミニ八十八か所をお詣りしながら大師を偲んできた。

 昭和初期から始まったとされるこの「水崎廻り」は水崎保勝会
によって百年近く守り続けられている。 那賀町を離れて四十年。
今でも水崎廻りを楽しみにしている。今年は旧暦三月二十一日
が五月六日の日曜日であったため、お詣りに出かけた。仕事が
休みに当たる年は心の中でガッツポーズする。今春は花の開花
が早く、周辺のシャガやヤマブキ、ツツジやフジが既に咲き終わ
っていて残念だった。花はなくとも見覚えのある葉っぱに頭の中
で花をつけながら歩いた。

 旧暦三月二十一日は四月中だったり五月中だったり、着る服、
咲く花などその風景は年によって変わる。変わらないのは古里の
言葉と笑顔と八十八体の石仏。七キロを歩き終わる頃にはまた
歩きたくなっている。(了)
                            鉄線

(※2018/05/13徳島新聞「読者の手紙」に掲載済)




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"ふっくらとしなやかに"
- 2018/04/29(Sun) -
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~ふっくらとしなやかに~

 今春の桜は開花が例年より早く、天候にも恵まれ、ふくよかで
美しかった。年明けから度々雪が降り、厳冬に耐え忍んだ後の
褒美のような気がしている。一斉に咲き、刹那に散りゆく桜に潔
さを感じながらも、正直心はその潔さに付いてはゆけず、風に舞
う花びらを名残惜しみつつ、次の桜に思いを馳せる。

清明の頃、自宅から見える代田に今年も一枚、二枚、と水が張
られてゆく。阿南市に移り住み三年。春分を過ぎると、代田に水
が張られる日が待ち遠しくなってくる。

 季節を意識するようになり、清明という響きをとても美しく感じて
いる。その響きと同じほど、苗が植えられるまでの束の間、水鏡
と化し、万物を異なる趣で映し出す水田に心は癒やされ、魅了さ
れている。

 水鏡に映る山並みを眺めた後、実像を見上げると、山はいつし
かふっくらとしなやかに笑っている。人もまた、己の力では動かし
ようもないものに翻弄されながら移ろい続ける。言わないだけで、
皆いろんなことを抱えながら生きている。冬の時もあれば、春の
時もある。

 冬の時もやがて訪れるであろう春を信じ、ふっくらとしなやかに
笑うことを忘れずにいたいものである。(了)
                            鉄線





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"喜びと悲しみ 一揃いを実感"
- 2018/03/12(Mon) -
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~喜びと悲しみ 一揃いを実感~
 
 光と影のように、喜びと悲しみは一揃いだと感じている。長年、
無常に翻弄されつつも、生の証しと自分に言い聞かせてきたが、
実際に心は言葉ほど柔軟ではなく、観念しきれない時がある。

 「書くこと」の良き理解者、助言者であった友人が年明けに彼
岸へ旅立ってしまった。出会って四年、夏には古稀を迎えるは
ずだった。友人は元新聞記者だった。芸術や文化に造詣が深く、
美術や写真の本を個人的に何冊もいただいた。書く時に必要
だろう、と長年愛用の「記者ハンドブック」まで私の本棚にある。

 その頃、友人は大阪のアートスクールに通っていた。趣味は
油絵。二年前から描きためた秀作の個展を開催した。幾つに
なっても「遅い」と言うことはないことを身をもって示してくれた。
いつも前向きで決して諦めない。病魔とも最期まで闘い続けた。

 友人は長いメールを度々くれた。情熱的で優しかった。昨年
暮れ、とくしま文学賞で私の随筆が優秀賞に選ばれた折、「や
ったネ。おめでとう」という短いお祝いメールをいただいたのが
最後となった。

 喜びと悲しみは一揃い。友人は今でも自宅で絵を描いておら
れる気がしてならない。心よりご冥福をお祈りいたします。(了)

                          鉄線

(※2018/03/12徳島新聞「読者の手紙」に掲載済)





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『台所に立つということ』(第15回とくしま文学賞、優秀賞作品)
- 2018/02/24(Sat) -
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『台所に立つということ』

 四十年経った今でも色褪せない不注意がある。真っ白なブラウスに
ナポリタンのケチャップの赤をぽつんとひとつ、飛ばしてしまった時の
ような迂闊さである。食いしん坊の私は、小学生の頃から小腹がすくと
台所に入り、冷蔵庫や棚にある食材や調味料を引っぱり出してきては
何か拵えて食べていた。名もない料理である。当時、我が家の台所は
茶の間の縁(えん)を降りた土間にあり、台所というよりは厨房で、その
昔はお竈(くど)さんがあったらしい。夏が来ると、ひんやりとした実家の
土間が妙に懐かしくなる。私は世間の子どもたちよりも早く台所に立ち
始めたこともあり、手際が良く、また、味も良かったから、このまま順調
にいけば将来は三ツ星シェフだった。中学校の家庭科の時間に初めて
茶わん蒸しを拵えた時もその片鱗は見られ、すだちの立っていない、何
ともなめらかで美しい仕上がりに、私の低くて丸い鼻もこの日ばかりは
高々だった。家庭科の教師とは別に試食、採点に訪れた独身の担任に、
私は威風堂々とした態度で茶わん蒸しを献上した。
 「茶わん蒸しやえっとぶりやな。どれどれ。ん?最近の茶わん蒸しは味
がないんか?」
 今、思い出しても恐ろしいセリフである。最近の茶わん蒸しは味がない。
あろうことか私は初めて拵えた茶わん蒸しの味を取るのを忘れたのであ
る。見かけ倒しとは正にこのことで、私はこの日のトラウマから最近にな
るまで茶わん蒸しを拵えたことがなかった。食事の際、茶わん蒸しが配
膳されて来るたび、この日の不注意が鮮明に蘇り、一瞬、心に雲が湧く。
私のおっちょこちょいは台所に立つより早く、物心ついた時からである。
 山あいの集落で生まれ育った私は、魚を捌くのが極めて苦手である。
と言うのは言い訳で、世間的な結婚適齢期を過ぎてもなお、実家で料
理の手早い母と同居していたため、また、魚より肉が好きなこともあり、
今も魚を三枚におろせない。スーパーマーケットで買う魚は刺身用に
短冊に切ったものか、そのままグリルに載せて焼くことのできる魚のみ
である。三年ほど前、夫が知人に伊勢海老を二尾もらってきたことが
あったが、まな板の上で甲冑を身に纏い、戦国武将のように構える
伊勢海老を私は気合いで解体した。半世紀の間、魚捌きをなおざりに
してきた私の星は、三ツから一ツにランクダウンしている。
 台所に立つ先輩でもある実家の母も今春、傘寿を迎えた。加齢ととも
に足腰が脆くなり、いつしか杖を突いて歩くようになった。近頃は台所に
立つのが億劫になってきたようで、それから何日かして「週三回、夕食
に宅配弁当を取ることにしたけん」と報告された。見映えの良い宅配弁
当のチラシを見て、配達が始まるのを楽しみにしていた母だったが、実
際に宅配が始まると、テンションは見る見るうちに下がっていった。初回
は午後二時半頃、二回目は午後十二時半頃、三回目は午前十時半頃
に宅配されてきたらしい。夕食用である。肝心の味も妥協できぬほど酷
かったようで、母は三度食べて不誠実な業者に断りの電話を入れた。ス
トレスは一つでも少ない方が良い。台所に立つことを負担に感じている
のなら、それを取り除いてやりたい。私は会社で利用している宅配弁当
に実家の事情を話し、配達してもらえるかどうか相談してみた。相談から
一週間も経たぬうちに週三回、誠実な昼食弁当を実家に届けてくれてい
る。母が台所に立つ負担を取り除く手助けをしてくれており、とてもありが
たく感じている。
 台所に立つということは、心身ともに健康でないと難しい。齢(よわい)を
重ねるということは、今まで普通にできていたことができなくなる、というこ
とである。烏(う)兎(と)匆(そう)匆(そう)、私自身も知命を過ぎた。三十年後
には今の母と同じように台所に立つことが辛いと感じているかもしれない。
愛する家族のために台所に立てなくなる日がいつか訪れる時、運転免許
を自主返納する時に似た空しさに襲われることだろう。齢を重ねるにつれ、
できなくなることが一つ、二つと多くなり、空虚という魔物が心の中に棲み
始めるようになっても、それを罪悪と取り違えてはならない。二〇二五年
には三人に一人が高齢者だと言う。身の回りのことをあれこれ他人に委
ねることが多くなってくるのだろう。不誠実な言動にイヤな思いをすること
も少なくないに違いない。皆、平等にやって来るとは知りつつも老後のこ
とを考えると、齢を重ねるのが恐ろしくて仕方がないが、加齢とともにでき
ていたことができなくなるのは自然律であり、いつか台所に立てなくなる
ことを決して悔いてはならない。愛する誰かのために台所に立っているこ
と、立ってきたことは紛れもなく三ツ星シェフに値し、長年、家族のために
台所に立ってきた我が母には、私から「三ツ星」をあげよう。(了)

                             鉄線

(第15回とくしま文学賞、優秀賞作品・2017/12/14)




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"関政明さんに会いたかった"
- 2018/02/15(Thu) -
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~関政明さんに会いたかった~
 
 今から5年ほど前、関政明さんと書簡のやりとりをしていたこと
がある。共通の知人は関さんの従姉であり、私の古里の大先輩
である。

 その大先輩からのハガキに関さんの歌集『走る椅子』という題
名が書かれており、買って読んだのがやりとりの始まりだった。

 関さんのみずみずしい感性に惹かれつつも、返事を苦労して
書いておられるのでは、と思うと、次第に筆は遠のいた。その頃、
いただいた『遠花火』という随筆集は宝物である。

 昨年12月、第15回とくしま文学賞の発表があり、私は随筆部
門で優秀賞をいただいた。関さんもまた優秀賞に入賞されており、
とても嬉しかったことを覚えている。お祝いの手紙を何度も書こう
かと思ったが、書くタイミングを逸してしまった。

 近く文学賞の表彰式があり、関さんに会えると思っていた。やり
とりをしなくなってから、私は結婚して名字が変わったため、関さん
は私だとわかってくれているだろうかと思いながら、まもなく初めて
お会いできる喜びを感じていた。

 そんな時、関さんが他界されたことを知った。色々と躊躇したこと
が今となっては悔やまれる。関さんのご冥福を心よりお祈り申し上
げます。(了)

(※2018/02/15徳島新聞「読者の手紙」に掲載済)


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