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『炎の桜』⑨ (最終話)
- 2015/01/07(Wed) -
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 禾穂は意味深な笑みを浮かべながら、煖を抱きしめた。遠目には抱き桜の中に
もう一本、抱き桜があるように見えるだろう。禾穂と煖は抱き桜のようにしっかり絡
みつき、一つになったまま、時を惜しむように何時間も離れなかった。晴れてはい
たが、とても風の強い夜だった。出かけ際に怒った結子の生き霊が宿る風のようだ
と禾穂は思った。闇夜の中に白く浮かび上がる二人を降りしきる桜吹雪がレース
のカーテンのごとく被い隠した。
「煖さん、こんな私を愛してくれてありがとう。驚かないで聞いてね。私はこの桜と同
い年の山姥なの。二百年前、哀しい殺され方をしてその怨念から生き返った醜い山
姥なの。再び、誰かを愛し、その想いを告げた時、元の人間に戻り、成仏ができるの」
 禾穂の告白に煖は思いのほか冷静だった。醜い山姥だという禾穂から離れること
なく、より一層、力強く抱きしめた。
「山姥でも僕はかまわない。心はわかっているから言葉にしなくていい。消えてしまう
なら言わないで」
 既に禾穂の体からは青い炎が仄かに立ち始めていた。愛を実際に告白したかどう
かは関係ないようである。心に再び人として熱い血が通い始めた時、山姥は人に戻り、
成仏するようである。
「禾穂さん、だめだ。告白するんじゃない。行かないで、行かないでったら」
「煖さん、あなたに会えてよかった。愛しています。ありがとう。赤花夕化粧、うれしかっ
た。忘れない」
 気がつけば、煖の体からも青い炎が立ち上がっていた。自分の火が燃え移ったのか
と思い、禾穂は煖から離れようと藻掻いたが、煖が離れようとはしなかった。
「禾穂さん、僕もあなたが大好きだから。誰よりも愛しています」
 煖はそう言いながら、水引で拵えた美しい赤い指輪をポケットから取り出し、禾穂の
右の薬指に填めた。思いがけない贈り物に禾穂は嬉し涙を流した。いつの間にか、青
い炎は満開の紅しだれにも燃え移り、赤い炎を放ち始めた。
「早く私から離れて。焼け死んでしまうわ」
「愛する人に告白したから僕も成仏できる」
 その言葉に禾穂は亡き子どもを思い、煖は亡き母を感じていた。二人はメラメラと燃
えながら幸せだった。抱き桜は燃えながら大量の桜吹雪を降らせた。花びら一枚一枚
は炎の花びらであり、吹筒花火のようだった。いつしか、二人の燃える炎は抱き桜の
燃える炎と一つになり、大きく真っ赤に燃え上がる炎の桜になった。
 櫻堂に火柱が上がっている、と消防団や集落の人々が櫻堂に駆けつけてきたのは、
それから小一時間経ってからだった。その頃には二人は既に灰燼と化し、その姿はな
かった。抱き桜の炎は櫻堂や他の木々、集落に燃え広がることなく、焼けたのは抱き
桜のみだった。

 次の朝早く、結子は二人を捜しに家を出た。櫻堂まで下りて来た時、抱き桜は黒炭
と化してもなお抱き合っているのがわかった。抱き桜を見上げた時、結子は煖と禾穂
が上から見下ろしているかのような不思議な感を覚えた。二人を捜しに出てきたもの
の、もう会えない気がしていた。櫻堂は煖が子どもの頃の遊び場であり、たびたび遊
山に訪れた場所でもあった。前夜、年甲斐もなく遊山箱を庭に叩き付けたことが悔や
まれてならなかった。
 結子は抱き桜の傍に立っていると、今度は根元からの息吹にふと俯いた。若い芽が
二本、力強く天に引っぱられるように伸びている。何の新芽だろうか。それは灰燼の
中で朝陽を浴びて輝き、しなやかで美しいものだった。二本の芽には一つの赤い輪が
填められ、仲睦まじく寄り添っているように見えた。結子は芽が千切れないよう、丁寧
に輪を引き抜いた。輪は水引で作られた指輪だった。しかも、家の水引で作られたも
のだった。その独特の結びは煖にしかできないものであり、結子はもうこれ以上、二
人を捜しても見つからないと思った。それは十五の時に父、敦平を諦めた時と同じ匂
いだった。煖が禾穂のために結んだであろう赤い指輪を、結子は櫻堂のお大師さんに
委ね、気の済むまで両手を合わせた。(了)
                                   鉄線

※先月から連載してまいりました『炎の桜』。最初から最後まで
読んでくださったかた、どうもありがとうございました。感謝です。

  


             
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『炎の桜』⑧
- 2015/01/02(Fri) -
IMG_2112 鬼

「禾穂さんは不思議な人ですね。穢れを知らない少女のように感じる時もあるし、
酸いも甘いも噛み分けた老婆のように感じる時もあるし、雲のようにつかみ所が
ないですね」
 煖は禾穂の唇に吸い寄せられるように自分の唇を重ねた。山の四月の風は素
肌には肌寒かったが、二人はそんなことも忘れるほど、抱擁を繰り返した。禾穂は
煖に二百年の間に感じたことのないような熱情を抱いていた。それは身が粉々に
なってしまいそうなほどの猛々しさで、抱かれれば抱かれるほど、煖を食む気持ち
が薄れていくのだった。
「煖さんも太股に左右対称のホクロがあるんですね。昔、誰かの太股にも同じよう
な左右対称のホクロがあったような。誰だったかしら」
 煖に髪を撫でられているうちに禾穂は誰の太股にホクロがあったのか思い出した。
赤子である。焼殺された赤子にも太股に左右対称のホクロがあった。同じ場所に
ホクロのある煖をふと赤子の生まれ変わりのような気がして、ますます食むことが
できなくなってしまった。
「禾穂さんは何だか懐かしい香りがしますね。ずっと前に嗅いだことがあるような、
ないような。母さんと一緒にいるより落ち着く」

 家に戻った二人の間に何かがあったことを結子は感じ取っていた。禾穂は結子
の怒りを感じ、わざわざ結子の目の前で煖の手を強く握って見せた。その瞬間、
結子は禾穂に殺意を抱いた。煖も敦平のようにある日突然、居なくなるような胸騒
ぎがし、煖に外に出ないよう言い渡した。
「外出禁止って、もう子どもじゃないんだから」
「子どもでも大人でもないのが集落に紛れ込んでいるかもしれないから気を付けな
いと」
「母さん、まだそんなこと言ってるの?」
 煖は禾穂の手を引き、笑いながら母屋を後にした。煖が別人になってしまった、と
結子は悲しかった。何を言っても取り合ってもらえず、禾穂が物の怪かもしれないと
疑うようになってから、結子の頭は禾穂をどうやって追い払うか、それのみだった。
 禾穂は禾穂で、心は煖のことでいっぱいになってしまった。煖に助けられた時から
煖のことが気になってはいた。だが、性懲りもなく男を好きになる自分を認めたくなか
ったのだが、赤子と同じ場所にホクロがある煖が愛おしくてたまらなかった。一度溢れ
出したその想いを水道の蛇口を捻るように簡単に止めることはできなかったし、煖に
は気持ちを伝えたかった。しかし、愛を告白した瞬間、禾穂は燃えて灰と化してしまう。
二度と煖に会えなくなる。結子には山姥ではないかと大いに疑われている。時間的に
迷っている暇はなく、山姥も愛する人に想いを伝えたい。それが結論だった。

 煖は満開を迎えている抱き桜の夜桜見物に禾穂を誘った。禾穂は納屋で見つけて
おいた赤と青の遊山箱それぞれに巻きずしや果物、酒の肴などを詰めた。冷酒も少し
水筒に入れ、用意した。
「赤い箱が母さんの遊山箱。僕のは青い箱。子どもの頃、二人でよく遊山に出かけ、
母さんの分まで僕が食べていたな」
 楽しそうに出かける準備をする二人の間に結子が割って入った。
「煖もあの頃が一番かわいかったわ。また勝手に納屋から思い出の品を引っぱり出
して。禾穂さん、家の中を引っ掻き回すのはいい加減にして」
「母さん、僕が使っていいと言ったんだ。ちゃんと戻しておくから気持ちよく貸して」
 結子は赤と青の遊山箱の両方を禾穂から奪い取り、縁から庭先に叩き付けた。美
しい彩りの巻きずしや果物が土の上に転がり、ままごとで出される食べ物のようにな
った。
「禾穂さんに貸すくらいなら、こうしたほうがマシよ。人の家に入り込んできて、なに勝
手なことしてるの。出て行きなさい。今日限り、この家から出て行って」
 禾穂は結子に息を吹きかけ干物にしてしまいたかったが、煖の手前、思い止まった。

 煖は禾穂の手を取り、家から走るように出た。何も言わず、ただ山道を下りた。こん
なに荒れた煖を見るのは初めてだった。抱き桜まで禾穂と手を繋いだまま、煖は一言
も話さなかった。夜桜といっても、ライトアップされているわけではなく、花盛りではあっ
たが、二人の他には誰も居なかった。機嫌の悪かった煖も月明かりの下で抱き桜を眺
めているうちにいつもの穏やかさを取り戻した。
「自分の集落の桜がこんなに美しいだなんて、今まで気づかなかった。何となく禾穂さ
んに雰囲気が似てるな、この紅しだれ」
「私もそう感じて、ここにやってきました」 (つづく)

                                    鉄線

  
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『炎の桜』⑦
- 2015/01/01(Thu) -
IMG_8559家

「禾穂さん、何処に行ってたんです?」
 夜明け前、いつものように白梟に変化し、抱き桜から家に戻る途中、いつも
と違う様子、焼け焦げた臭いに少し手前から禾穂になり、歩いて帰った。家の
敷地に入るや否やの煖の問いかけに禾穂は焦った。夜、納屋を空けていたこ
とがばれ、尤もらしい答えを探す禾穂の頭の中には千の沢蟹が迷い込み、暴
れ回っているようだった。
「眠れない夜は散歩に出かけています。今、桜の頃ですし」
「今までずっとですか。山犬もおるし、獣の仕掛け罠もあちこちにあるし、」
「夜、歩くことには慣れていますから」
「慣れているかもしれないけれど、居候している間は勝手なことされては困るわ」
 結子の荒々しい声に禾穂は煖を見た。
「風呂の焚き口から火が出てね。ボヤで済んだんだけど、それより禾穂さんが納
屋にいないことで大騒ぎになって」
「風呂の火の始末をしてから休んでねって、あれほどお願いしたでしょう。幾ら火
が恐ろしいからって無責任すぎるわ。母屋に燃え移っていたらどうするの。私も煖
も焼け死ぬところだったのよ。それとも、ご両親みたいにそうなればよかったのか
しら?」
 結子は禾穂に容赦がなかった。出会った時とは別人のようだった。勿論、最初は
そうではなかったが、禾穂に対する風当たりは徐々に増大していった。最後に入る
風呂にはくるぶしほどしか湯が残っていなかったり、湯がある時には大量の羽虫が
浮いていたりした。煖が会合で家を空ける日は禾穂の分の食事がなかったり、あり
えない味つけだったりしたが、そんなことでめげる禾穂ではなかった。納屋に保管し
てある備蓄米を日に一升、二升と遠慮なく食べたり、結子が大切に育てている花を
一夜のうちにドライフラワーにしてやった。自分にだけ向いていた煖の気持ちがよそ
者に向き始めた嫉妬だと禾穂にはわかっていた。結子を食むのは簡単だったが、
煖に気づかれ、計画が水の泡になるのは本意ではなかった。
「母さん、言い過ぎだよ。禾穂さんは火が恐いんだから火の始末を頼んだ僕たちが
いけなかったんだ。これからは僕が確認するから」
「どこまで肩を持ったら気が済むの。一晩中、歩いてたなんて嘘に決まってるでしょ。
土地勘のある私でも夜は恐くて山の中を歩けない。そんなことができるのは山姥くら
いだわ」
「山姥だなんて、あんまりです」
 煖に気づかれぬよう、禾穂は一瞬、もの凄い形相で結子を睨みつけた後、泣きなが
ら家を飛び出した。勿論、嘘泣きである。背後に煖の息遣いや足音を感じながら、禾
穂はそろそろお暇(いとま)する時がやってきたと感じていた。 


    四   炎の桜
 来不ヶ谷集落の櫻堂にある抱き桜は今、八分咲きを迎えている。桜はそのくらい
が最も美しい。昇る太陽の光が差し込み、抱き桜は神々しく輝き、桜に抱き付いて
号泣する禾穂もまた黄金色に光っていた。桜の花びらように儚く、掴まえていない
といなくなってしまいそうな美しい女を煖は背後から抱きしめずにはいられなかった。
「この半年、集落の納屋という納屋から米や芋が消え、みんなが神経質になってい
て、ボヤも山姥や山父の仕業ではないかって言い出してね。火を出して気が立って
いたんだと思います。母さんが言った失礼なこと、僕から謝ります」
「私の不注意でお世話になっているかたの大切なものを全部燃やしてしまうところで
した。ごめんなさい」
 禾穂は結子が自分の素性を訝しがっていることを薄々感じていた。煖は結子ほど
敏感ではなく、禾穂の涙を親指で拭いてやった後、禾穂の唇に自分の唇を重ねた。
それには禾穂も驚いた。モーションを掛けるのは自分のほうからと思っていたので
手間が省けた。この後、二人は人気のない山の中で逢引をした。禾穂も大概、道と
いう道には詳しかったが、初めて通る道、場所だった。手を繋ぎ、一日歩くなど二百
年の間でこれまた初めてだった。
「ここ、僕の隠れ家なんですよ」
 雑木の中に四畳半ほどの木造小屋が建っていた。「煖房」と表札が掛かり、中は
板の間で昼寝ができ、コーヒーや茶が飲めるよう、小さなカセットコンロと小さなや
かんが置かれていた。風呂の薪を集めにきたついでに少しずつ建てていった小屋
だった。
「独りになりたい時もありますから」
 結子と煖。仲が良く、いつもべったりに見えていたが、男というのはこういう一面を
持ち合わせているのだ、と禾穂は苦笑した。二人は沢から汲んできた水でコーヒー
を沸かして飲んだ。禾穂は自分が山姥であるのを忘れ、煖との逢引を心から楽しん
でいることに再び苦笑した。昔、人間だった頃、同じように楽しいひとときがあったと
いう記憶だけが身体の中にかすかに残っていた。煖に惑わされてはいけない。禾穂
はいよいよ煖を食する時が来た、とコーヒーカップを置き、煖を見つめた。(つづく)

                                    鉄線


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『炎の桜』⑥
- 2014/12/29(Mon) -
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 家隣にある納屋の二階が禾穂の部屋だった。一階には農作業の道具や
普段使わない家財道具、薪、米、野菜などが置かれていた。敦平が生きて
いた頃、こっそり情け宿として貸していた小屋だったが、今ではそれを知る
者もおらず、煖が手を入れ、寝泊まりできるよう直してやった。
 夜、生米を頬張りながら、納屋に置かれているレコードを聴くのが禾穂の
楽しみだった。ひっそりした山奥でクラシック音楽を聴いていた敦平とは、
どんな男だったのだろう。情け宿をしながら敦平もまたこの部屋で誰かを愛
したのだろうか。結子を男手一つで育て、山で遭難したという敦平に会える
ものなら会ってみたかった。季節はいつしか春を迎えていた。食あたりを起
こし、煖に助けられてから七ヶ月が過ぎようとしていた。

「禾穂さん、父の写真、残っていたわ。どんな人か見たがっていたでしょう」
 朝の食事が終わり、三人でお茶を飲んでいると結子が不意に敦平の写真
を禾穂に見せた。
「写真を見ると寂しくなるから全部焼いてしまったんだけど、古本の間に一枚
挟まってたの」
 結子がそう言い終わらないうちに禾穂の顔は見る見る蒼白になった。
「禾穂さん、具合でも悪いの?大丈夫?」
 煖はそう言いながら写真を覗き込んだ。別段変わったところのないスナップ
写真である。結子も禾穂の尋常でない脂汗を心配しながらも、その様子を訝
しく感じていた。
「もしかして、父と面識あるの?」
 女の勘だった。
「まさか。禾穂さんは僕より若いんだし、爺ちゃんが亡くなってから生まれてる」
 一瞬見せた禾穂の焦りの表情を煖は見逃しても結子は見逃さなかった。
「亡くなった父にとてもよく似てたものですから、びっくりしてしまって」
 苦し紛れに付いた嘘だった。まさか、四十年ほど前にここから少し離れた山
の中で誑かし、食んでしまった男が敦平だとは言えなかった。確かに記憶に
残るほど食んでしまうには惜しい男だった。父を殺され、十五で独りになり、十
七の時に捨て子を拾い、内職をしながら煖を育て、生きてきた結子を思うと、
禾穂は結子と目を合わせられなかった。罪悪感を感じたのは二百年間でこれ
が初めてだった。煖のことがなければ、禾穂はこの家から直ちに退散しだろう。
だが、半年以上も時間をかけて狙っている獲物をそのままにして離れるわけに
はいかず、具合が悪いと仮病を使い、部屋を後にした。
 
 納屋の小窓に飾ってある一輪挿しの花が枯れると、煖は野に出て、わざわざ
花を摘んできた。そんな息子の様子を結子は気が気でなかった。煖が具合の
悪い禾穂を抱きかかえて戻った時、何れこんなことになるのではと結子は予感
していた。母屋の空き部屋にという煖の言葉を却下し、納屋に禾穂の部屋を構
えさせたのは結子だった。それでも納屋に時たま出入りする煖を結子は嫌った。
 禾穂は張り巡らせた蜘蛛の巣の端に煖が入り込んできた気がしていた。煖が
摘んできた窓辺の花を見ていると、禾穂の脳裏には煖と絡み合うシーンがリア
ルに浮かび上がってくる。予感だった。自分の横で気持ちよさそうに眠る煖の体
を山姥の太くて長い舌がするすると静かに巻き上げ始める。舌は真っ赤で、その
表面は猫の舌のごとくざらざらで、煖は巻きずしの芯のように幾重にも巻かれ、
締め上げられ、失神したところを丸飲みされる。煖がこの世からいなくなれば、結
子も集落の娘たちもさぞかし悲しむことだろう。結子は敦平に続き、煖も失うこと
になる。不意に沸き上がってくる微かな仏心を抑え込むのに禾穂は難儀した。
「愛する者を一瞬にして失う悲しみを味わうがいい。愛する者に一夜にして裏切
られる苦しみを知るがいい」
 煖が愛の言葉を口にした瞬間、禾穂は容赦なく食もうと思っていた。愛など糞
食らえだった。禾穂は一輪挿しの花にふうーっと息を吹きかけた。花は一瞬にし
て生気を失い、ドライフラワーになった。納屋を走るネズミやイタチも禾穂の機嫌
が悪い時は何処までも伸びる長い髪によって捕らえられ、息を吹きかけられ、干
物にされた。

 夜、母屋の灯りが消えると、禾穂は納屋から抜け出し、抱き桜まで寝に帰った。
独りになり、素の状態で眠りたかったし、抱き桜の中で寝ていると、好きな男に抱
きしめられたまま寝ているような安堵感があった。そして、今、花は八分咲きを迎
えており、櫻堂を含めた抱き桜周辺の景色は絶景だった。(つづく)

                                  鉄線



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『炎の桜』⑤
- 2014/12/27(Sat) -
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 結子が昼餉に重湯を運んできた。
「少し身体に何か入れないと体力が戻りませんよ」
 子どもを諭すように優しく話しかけてきた結子は柔らかで美しかった。
非の打ち所のない結子に禾穂は嫉妬し、身体に入れたばかりの重湯を
その場に遠慮なく戻してみせた。戻したものを嫌がる素振りも見せず、
丁寧に拭う結子の指先は繊細で色気があり、禾穂はその指にまで嫉妬
した。
 嫉妬。これも二百年の間、ずっと忘れていた情だった。人間ごときに嫉
妬する自分を禾穂は体調が悪く、イライラしているせいだと思っていた。
結子が部屋から出て行った後、禾穂は何だか疲れ、横になった。知らない
うちに寝入り、また男どもに拉致され、焼殺される夢を見た。今になり、どう
して繰り返し思い出されるのか。見たくないのに見てしまう。夢にうなされる
禾穂の呻きは、煖に抱き起こされるほど激烈だった。
「大丈夫ですか。しっかりしてください」
 煖に起こされ、禾穂は夢なのか現実なのかわからなくなっていた。煖が一瞬、
愛していた頃の一汰に見え、しがみついたが、すぐ正気を取り戻し離れた。
「すみません。間違えました」
「大丈夫ですか。あんまりうなされていたから起こしました」
 禾穂の身体は寒くもないのに小刻みに震え、止まらなかった。二百年前の傷
がこの集落にやって来てから疼き出した。完治に近いと感じてきた傷は少しも
癒えていなかった。その事実に震えが止まらなかったのかもしれない。煖は禾
穂の頬を伝う涙を拭おうと手を伸ばしたが、禾穂は物凄い勢いでそれを払い除
けた。煖は何も言わず、部屋を後にした。

 それからしばらくして、煖が花を摘んで部屋に戻ってきた。しなやかで素朴な
風合いの一輪挿しに、かわいらしいピンク色の小花が三本、活けられていた。
「少しは落ち着きましたか。気分が変わればと思い、花を摘んできました。山の
中ですから花屋もなく、こんな野辺の花しかなくて」
 何てかわいらしい男なのだろう。禾穂は煖の垂れた小さな瞳を見た。
「かわいい花ですね。さっきは取り乱してすみません」
「赤花夕化粧っていうんですよ」
「アカバナユウゲショウ?」
「ええ、夕方になると赤色の花を咲かせるから、赤花夕化粧です」
「赤花夕化粧をどうもありがとう」
 結子は襖越しに若い二人の会話を聞いていた。煖が結子以外に花を摘んで
くるなど初めてだった。女は一体何処から来たのだろう。何をしにこの集落にや
ってきたのだろう。どういう素性の女なのだろう。襖の向こうで二人が激しく絡み
合う映像が結子の脳裏を掠めた瞬間、結んでいた水引の一本が切れた。結子
が水引を切るなど、かつてないことだった。


    三   因 縁
 禾穂が煖に助けられてから半年余りが過ぎた。禾穂が天涯孤独ということを
知ると、結子も煖も同じ境遇のため、別段行く当てもないと言う禾穂に「出て行
け」と無下に言えなかったし、気が利き、何でも器用にこなした。ただ火が恐ろ
しいため、火を使う家事には赤子のようだった。
 居間横の作業場で結子と煖は水引を結び、禾穂は居間から煖を見ていた。
どうすれば煖の気持ちを自分に振り向かせられるのか、そればかり考えていた。
その尋常ならぬ視線に結子は嫌悪感を抱きつつ、日々水引を結んでいた。
「禾穂さん、ずっと聞こうと思ってたんですが、なんで火が恐いんですか。マッチ
を擦ることもできないし」
 煖の不意の問いかけに禾穂は一瞬ドキリとしたが、禾穂以上に驚いたのは結
子だった。煖は人に対して興味がなく、特に女性には無関心なところがあった。
そんな煖が仕事のこと以外で女性に質問するなど極めて珍しかった。
「小さい頃、両親を火事で亡くしてから火が恐いんです。それから親戚を転々とし、
追い出される理由はいつも『お前は茶の一つも入れられないのか』って」
 嘘である。自分は二百年前、男に捨てられ、赤子とともに男やその家族に焼殺、
怨念から山姥に変化した、などと言えるはずもなかった。煖は嫌なことを思い出さ
せてしまい、申し訳なかったと詫びた。
「今まで独りで苦労してきたのね」
 結子に優しく声をかけられると、さすがの禾穂も焼かれた時の記憶が甦り、思い
がけず涙ぐんだ。煖が立とうとするより先に結子は禾穂の傍に行き、子どもをあや
すように禾穂を抱きかかえ、背中をさすってやった。煖に少しでも近づきたいと思
っている禾穂は、余計なことをする結子の華奢な身体を骨が軋むほど抱き返した。
 余計なことをすると言えば、結子も禾穂に対し、そんなふうに感じていた。この家
の言うことなしだった調和が、禾穂が加わることによって微妙に崩れ、以前とは異
なる空気感に居心地の悪さを覚えていた。
「凄いなぁ、禾穂さんは。一回見ただけで結べるんだから」
 煖が驚くのも無理はなかった。禾穂は一人前になるまでに何年もかかる水引細工
を、結子や煖が結んでいるのを横で一通り見ているだけで同じものを作ることがで
きた。見たものに姿を変えたり、作ることができるのは山姥の能力の一つだった。
そうとは知らぬ結子はますます禾穂のことがおもしろくなかった。山奥の一軒家で
暮らし、今まで自分だけに向いていた煖の心が自分より若くて美しい禾穂に日ごと
に惹かれていくのが傍にいて自分のことのようにわかった。結子は禾穂が現れ、煖
に対する自分の心を初めて素直に認めた。母親としてではなく、女として煖を愛して
いると。同じ女として禾穂もまたそのことに気づいていた。人間の禾穂ならそう気づ
いた時、この家から去り、身を引いたであろうが、山姥として生きる今、何事に対して
も容赦などなかった。(つづく)
                                 鉄線




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