ネックレス
- 2008/03/30(Sun) -
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さっき、母がネックレスをプレゼントしてくれました。もうすぐ誕生日と
いうことで、ちょっと早めのバースデー・プレゼント プレゼント として渡して
くれたのか?それとも、単なるプレゼントとして渡してくれたのか?
母はそんなこと、いちいち言いもしないし、私も聞きもしないし‥‥。
でも、母の手づくりのネックレスである、ということだけは確かで。ネックレス

最近、私は石やスワロフスキーのアクセサリーを好んで身につけて
います。ネックレス、イヤリング、ブレスレット‥‥。今日、母からプレ
ゼントされたのも石のネックレスです。ネックレス自体、長めで、石も
大きめなので、会社にはしていけそうにないですが、休日、お出かけ
する時にでも身につけよう!と思っています。キラキラ

石も春らしい色目をチョイスしてくれていますよね。歳を取り、目が薄
くなり、針に糸を通すのも儘ならないのに、こういう細かい作業のもの
を手づくりし、プレゼントしてくれるとは、とても申し訳ないやら、ありが
たいやらです。

世界にたった一つしかないネックレス。大切に愛用していきます。
かあちゃん、ありがとう!笑い。 とてもうれしいです。                           
                                    鉄線 
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『アニトヤ』
- 2008/03/30(Sun) -
これから掲載する『アニトヤ』は、わたくしが7年半ほど前に
書きあげ、ある文学賞に投稿した小説です。残念ながら、
入賞には至りませんでしたが‥‥手書き風シリーズ汗1
よかったら、読んでみてください。

タイトルの『アニトヤ』なのですが、「anitya」-サンスクリット
語で、常なるという「nitya」の反対、つまり、「無常」を意味し
ます。
「方丈記」の無常観に魅せられ、この作品を書いたよう記憶
しています。

 ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
 よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、
 久しくとどまりたる例(ためし)なし。
 世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし。
              (鴨長明、「方丈記」より
            
                             鉄線


『アニトヤ』

  一 ひょうたん島

 吉野川の三角州に形成される県都の中心は周囲六キロを
福島川、新町川、助任川に囲まれた「ひょうたん島」と呼ばれ
る地域であり、私が暮らす町である。ロープウェイと桜の名所
で知られる眉山山頂から俯瞰した島は瓢箪形とは程遠く、田
宮川や大岡川の蛇行と相俟って未発達の微生物に見える。
実際、生活の足場をぐるり吉野川の支流で湛えられて暮らし
ている者にとって島は環壕で護り固められた城のようで、『心
中天の網島』堂島新地に負けないほどの橋尽くしである。徳
住橋を基点に福島橋、福島新橋、中洲みなと橋、かちどき橋、
富田橋、両国橋、ふれあい橋、新町橋、春日橋、あいせんばし、
仁心橋、佐古大橋、三ッ合橋、前川橋、西の丸橋、助任橋、
新助任橋と、時計回りに実に十八の橋が架かる。
 私は産声を上げて以来、ひょうたん島の住人である。尤も私
が産まれた昭和四十年代にはその愛称はまだなく、都市の
再開発が盛んに行われるようになった六十年代、行政によって
提唱されたものである。それまで自分の栖を県都と思うことは
あっても孤島と意識したことはなく、テレビの人気人形劇を真似
たようなおちゃらけた名に提唱当初は眉をひそめたものだ。蒼空
という果てのない画用紙を遠慮なく切り裂くように町中に建てら
れたビルやマンションへの違和感や不快感が見慣れるとともに
薄れゆくように、島の名も何時しか暮らしの中に根を張り、今では
常住している。
 暁の頃、熱い珈琲をステンレスの小さなポットに入れ、アパート
近くの徳住橋まで出かけるのが私の十四年来の常である。私に
とってそれはお気楽な散歩、ダイエットというよりは呼吸だった。
実家に居た頃も父親の風野(ふうや)に連れられ、鼻先の富田橋
までぶらぶらを決め込んでいたから、もう三十年以上も橋と係わっ
ていることになる。とりもなおさず、橋との係わりは風野と暮らした
十二年を軽く越え、私が父親に手を引かれて出向いた場所がたま
たま橋だったのではなく、そこへ導かれることに切りようのない血
続きを思う。どんな時もためらいなく迷いなく私を抱擁し、余計なも
のを取り去ってくれる橋こそが私にとっては父的存在であり、橋ほど
人生を、また移ろいを痛感する場所はない。橋にどこから来て、どこ
へ通ずるのか解らぬ道を感じてもいる。私は橋を異界を含めたあら
ゆるものを繋ぐ『無常』という名の道の駅だと思い続けている。


  二 風のキオク

 富田橋から地味な色目だが「あひるや」という大きな看板が上が
っているのが見える。名字が阿比留(あひる)だから「あひるや」、
私の実家である。「あひるや」は祖母マチ子の時代からの葬儀屋で、
ひょうたん島界隈では九九ほどの知れようである。実家は居宅兼事
務所で眉山の麓に別棟のこじんまりとした葬祭場を持つ。その一切
を取り仕切っているのが母親の健子(たけこ)である。女ざかりのマ
チ子が今で言う過労死で他界した後、十七で店を継ぎ、マチ子以上
の器量で店を切り盛りしてきたのが一人娘の母だった。祖母の命名
どおり母は医者知らずで、年がら年中、夜中のハムスターのように
忙しなく動いている。そんなマチ子譲りの勇み肌は仕事だけでなく、
婿取りにも発揮され、その投網に引っ掛かったのが人の好い風野だ
った。
 母は白髪頭の行員に代わって事務所に出入りするようになった新
井風野を見染めた。風野と恋仲となってから一年後、母は銀行マン
としてこれからの風野を上手く丸め込み、銀行に辞表を出させた。母
にしてみれば新井家の一人息子を阿比留家の籍に引っ張り込むの
は仕事を取ってくるより容易かった。母は何れ風野に社長の座を譲る
つもりだったし、賢い風野を社長に育て上げるのは時間の問題と目
論んでいた。
 だが、風野は湿った香のように燃え切らなかった。燻っているなら
まだしも自ら水を掛け、社長という火を消してしまったのである。これ
までとは余りにも勝手が違い過ぎる仕事や環境に馴染めず、慣れな
かった。健子の自尊心を掛けた過分な期待も風野にしてみれば、髪
が抜け落ちるほど重荷だった。
「背中にいっつも小刀を突き充てられ、無理から走っとったような気が
する」
 当時、幼稚園児だった私に風野はわざと笑い顔で呟き、そんな細や
かな父を母は陰で口元を歪めながら「ラクゴシャ」と言った。私がそれ
を「落伍者」と書き、その意味にしんみりしたのは中学生になってから
だった。
 一階が事務所になっていることもあり、上階の居宅に引きこもり、口
数の少ない風野も富田橋では役者のように饒舌だった。私は風野の
そんな止めどない話に耳を傾けていなかったわけではないが、留まっ
ているようで留まりを知らぬ川の流れや、そんな川面に映し出される
もう一つの揺れる町並みを眺めているほうが幾らも好きだった。小学
生になっても私は風野の言うこと全てが理解できたわけではなかった
し、湿り気を帯びた行き場のない話をされた日には、母の口元の歪み
を真似て風野に嫌言の一つや二つを言ってやりたい衝動に駆られた。
だが、言わなかった。言えなかった。母に嫌言を言われた時に見せる
風野の行き場のない目や頬の痙攣を見たくはなかったからである。
風野はそこら辺の母親よりも数段家事に長けており、特に風野の拵え
た洋菓子は学校で取り合いになるほどだったから、夜の散歩のお供は
良くしてもらっている「おかえし」の気持ちも半分あった。風野は橋の上
で時の流れを惜しむような話し方をした。しかし、それ以上に多様なこと
を思い、考え、気の抜けたような相槌しか打たぬ小学生に物足りなさを
感じていたに違いない。
「游子(ゆうこ)にはまだわからんだろうが、」
 いつも同じ言葉から始まる風野の話を聞きながら、私は血色の光が
尾を引きながら川面から天に舞い上がるのを指で一本、二本と数えて
いた。その光を見た最も古い記憶は四歳の七夕の夜で、初めて見る
地から天への光の移動、その妖しさに私は気味悪いほど鳥肌を起てた。
同じように光を放っていても、月や星、花火のようにそれをきれいだとは
思わなかった。天頂環という逆さの虹があることを風野から聞いて知っ
ていた私は、それを逆さの流れ星と自分に言い聞かせ、後から後から
湧き起こる鳥肌を抑え込もうとした。
 赤い光の筋は天に近づくにつれ、その先頭部が黄金色の光を放った。
その光景が風野や橋を往来する人々の目には映らないと知った時、私
は風野の手を胡桃を砕く勢いで握り締めたのを覚えている。毎晩のよう
に見える妖光のことを風野に話し、少しでも恐怖から逃れたかったが、
なぜか他言してはならぬような気がして黙っていた。決して逆さの流れ
星などではない妖光に私はなかなか慣れることができず、夢に現れ魘
されることもしばしばだった。月や星と違い、妖光は雪の夜でも嵐の夜
でも見られたし、晴れた夜でも見られない日があった。一晩に五十ほど
昇る時もあれば、一つ二つの時もあり、それらは川の小波から産まれ、
飛び立っているように見えた。昇天しかけた赤い塊が川面から伸びた
無数の鈍色の手によって再び引き戻されることもあり、赤い塊の全てが
天へ向かえるわけではなかった。そんな妖光の数々がこの世に居場所
を無くした者たちのあの世への旅立ちだと知ったのは、海で溺死した友
人を妖光の中に見た小四の夏休みだった。
 富田橋からの風景や新町川の流れはいつも一様に見え、決してそう
ではない。人は時間の流れほどそれを強く意識しない。目に映るもの全
てが見た瞬間から見納めで、それが緩やかさの錯覚だと気づいた時の
言いようのない焦燥。ラジオ体操の後に「またあしたね」と別れた友人が、
翌朝「亡くなった」と聞かされた時もそうだった。余りの呆気なさに私は怒
りを覚え、向け所のない怒りは涙となり、それまで感じたことのなかった
やり切れなさに狼狽えた。風野は川面に小波を起てるほど低い声で、そ
れが空しいという気持ちであること、天を指差し「空」という字を書くことを
私に教えた。
「この世に永遠のもんやないけん、人は何かにつけ空しさを感じる。月は
今夜みたいにいつもまんまると違うし、新町川も毎日同じに見えて一日も
同じ日はない。人もいつか必ず死ぬ。これはこの世の決まりごとやけん、
誰にも止められん」
「そんなん、あかん。みんなずっといっしょがええ。川も町もこのままがええ。
うちはかわるんも、なくなるんもいやじゃ」
「何もかもが永遠でないことを理解したら、哀しさや空しさが少し和らぐけん。
本意でない暮らしにも、こうして少しは希望が持てる」
 私は後にそれが無常と呼ばれる理念であることを高校の古典の授業で
知った。この時、風野が抱えていたであろう空しさに私は少しも気づくことも
なく、例え気づいたとしてもどうすることもできなかった。ただ他の誰にも話さ
ないことを風野にだけは話そうと思ったし、風野なら理解してくれると信じた。
私はこの頃から風野が橋の上で話したことをノートに書き留めた。同時に妖
光の数も記した。妖光の数が一万になったら、風野に妖光のことを話そうと
決めていた。だが、一万を待たずして風野は阿比留家を後にした。私が小
学校を卒業し、中学へ上がるための準備を整え終わった時であるから、十
二の初春である。
 その夜も二人で富田橋まで散歩に出た。橋のたもとに一本ある古木の染
井吉野を見上げながら、風野は私が生活するのに困らぬ家事一通りを教え
るために離婚を六年遅らせたと、明日が遠足の子どものような顔をして言った。
そして、風野は本当に遠足に出かけてしまった。橋のいつもの場所で立ち止
まる私を振り返ることも、さよならを言うこともなく、ひょうたん島を後にしたの
だった。それ以来、風野とは会っていない。会おうにも行方知れずなのだ。
 今でも新聞や雑誌、街角で「風」という文字を目にするたび、私は苦笑する。
私は風野の呆気ない別れ方を怨み、失踪という投石が引き起こした波紋に
苦しめられてきたが、橋という無常の塊のような場所が好きだった風野らしい
去り方と近頃は思えるようになったから、記憶も時の流れとともに少しずつ形
を変え、流れゆくものである。
                           (つづく・日曜更新)


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渦の道
- 2008/03/29(Sat) -
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「渦の道」の無料入場券(3月中)をもらっていたので、ドライブがてら
大鳴門橋まで車を走らせました。zoomzoom005 今日の満潮は11:00でしたが、
小潮ということで、渦の道から豪快な鳴門の渦潮を見ることはできま
せんでした。母親と一緒に行ったのですが、出口で係員のおじさんに
「渦、巻いてなかったわよ」って、ひとこと言ってました。ビクッ
ん?どっかで聞いたセリフ‥‥と甥のことを思い出しつつ、血は争え
ないもんだ‥‥と、私は1人で納得してました。
気が強いとこ、あの2人、よう似てますわ!苦笑い

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渦の道から海を覗いた時、テトラポットのところで、男性が1人、魚釣り
をしてました。貸切ですよ、貸切。朝から春の海を独り占め!何という
贅沢なんでしょう。キラキラ 

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午前中、少し風があったのですが、花冷えというほどでもなく、この男性も
朝っぱらから(よっしゃ、釣りに行こ!)って思ったんでしょうね。「自分だけ
の海」「自分だけの釣り堀」状態での魚釣り。気持ちいいでしょうね~。
こうして、青い海を眺めているだけで気分爽快なのですから、そこで楽しい
ことをやっているとなると、尚更でしょう~。魚が釣れたかどうかはわかりま
せんけど、こんなに気持ちがいいのだから、別に釣れなくてもいいですよね?!
みなさんも今から釣りに行かれてはいかがですか?私は釣り竿を持ってい
ないのでいけないんですが‥‥。釣った魚ならいただきますよ。
えっ、鳴門鯛?!大歓迎です!!たい さんま nimo
                                   鉄線

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スローフードレストラン
- 2008/03/28(Fri) -
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今夜は「スローフード」を売りにしているレストランで外食をして帰りました。
このお店は、バターや生クリームを減らした野菜やフルーツを主体にした
ソース、スープを多用し、Light Lunch、Light Dinnerを提供しています。
私は、「神山鶏のカツレツガーリックソース」のAセットをいただきました。

カツレツを一切れ、口の中に運ぶや否や、「うわっ、めっちゃ、おいしい!」にこり
神山鶏自体、やわらかくてジューシーでしたが、その塩コショウの加減と
いい、ガーリックソースといい、味付けが絶妙でした。薄過ぎず、しょっぱ
過ぎず、またギトギト過ぎず‥‥。久々に「100点の味」と感じさせてくれ
るレストランでした。一緒に行った後輩は、マカロニグラタンのAセットを食
べましたが、こちらのほうも絶賛しておりました。とにかく、「おいしい!」
の一言ですね。味つけだけでなく、店のしつらいも落ち着いた感じで、店
自体、海のすぐ傍に立地しているため、昼夜問わず、いい雰囲気でお食
事ができることと思います。アップロードファイル

何より、鉄線の家の近くですし、ということは、自転車で行くことができ、
ということは、飲酒ができるということ。キラキラ デートなんかにはもってこいの
レストランです。○○さん、機会があれば一緒に食べに行きましょう!!

                                鉄線
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道の駅
- 2008/03/27(Thu) -
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青色の車 ドライブしていると、あちらこちらで「道の駅」をよく見かけます。
「道の駅」を見かけると、何か、ふらふらふらっ~と、入っていって
しまうんですよね~。何かおもしろいものはないかなぁ、と思って。

「道の駅」は、3つの機能を併せ持つ休憩施設のようですね。
①道路利用者のための「休憩機能」
②道路利用者や地域の方々のための「情報発信機能」
③「道の駅」をきっかけに町と町とが手を結び活力ある地域づくりを
  共に行うための「地域の連携機能

私も「道の駅」では、トイレ休憩だったり、地域の特産品を買い求め
たり、道を尋ねたりetc…していますから、3つの機能をフルに利用
しているわけです。「道の駅」、全国に何ヶ所あるかご存じですか?
約870ほどあるみたいです。多いのか少ないのか、わかりませんが。

私の好きな「道の駅」は、日和佐の「道の駅」。誰でも自由に入るこ
とができる足湯があるんです!機会がありましたら、是非、足湯を
利用してみてください。jumee☆faceA132 運転の疲れが取れますよ~。薬王寺に
参拝に来られたお遍路さんにも大人気の足湯です。
この駅は、花もたくさん販売されています。ビオラ02

「あそこの道の駅、いいよ~」という情報、お待ちしております。赤色の車


                              鉄線
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ガクアジサイ
- 2008/03/26(Wed) -
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このところの春の陽気と菜種雨により、会社の中庭のガクアジ
サイは一気に新芽を吹き出し始めました。
春-そこここに感じられる、新鮮で強烈な息吹。今時分のこの
エネルギッシュでたくましい生命力がとても好きなんです!キラキラ

このガクアジサイ、4年ほど前に家から持ってきて挿し木したも
のです。うまく根付いてくれました。家のガクアジサイも元々は
裏のご婦人にいただいたもので、そのご婦人は5年前に他界さ
れてしまいましたが、ガクアジサイは今もこうして生きています。
毎年6月になり、ガクアジサイが咲き始めると、必ずこのご婦人
のことを思い出します。花が大好きなご婦人でした。jumee☆mark6b
花が咲くたび、好きなタバコを吹かしながら、空からガクアジサイ
を眺めてくれているんだろうなぁ、って思いますね。

このガクアジサイ、色はブルーで、とてもきれいなんですよ。また
6月に花が咲き出したら、写真をアップしたいと思いますので、
どうぞ、おたのしみに! 
                               鉄線



~主のいない家 物悲しさ漂う~

 裏の借家の独り暮らしのご婦人が病気で亡くなられて間もない。
うちの母親と同世代と知ると、彼岸へ行くにはまだまだ早過ぎると
思わずにはいられない。
 主の居なくなった家の洗濯機や郵便受は生前のままである。玄
関先の狭い空き地にピンクの紫陽花が一輪、色鮮やかに開花して
いるのをご婦人はご存じだっただろうか。プランターの葱は青々とし、
みそ汁や素麺の薬味として刻まれるのを今か今かと待ち侘びている。
二階の窓に掛けられた簾も外されることなく、時折の風にカタカタと
音を発てている。
 今でもご婦人がその家で暮らしているかのような生活感が漂う。
だが、郵便受に無遠慮に投げ込まれたチラシの数々にそんな錯覚
は一瞬にして掻き消される。郵便受から溢れんばかりのチラシを見
ると物悲しく、切ない。
 学生の頃、次、生まれるなら路傍の石がいい、と言った友がいる。
雑多なものに囲まれ暮らしている今、その気持ちが解らなくもない。
これからの時代、裏の家のように「終わっていない光景」に度々出く
わすようになるのかもしれない。終わらせたくても終わらせることが
できない。それが自分のことのようにとても悔しく、また切なく感じる
のである。
             (T新聞・「読者の手紙」投稿済・03/6/20)

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ディアルガ
- 2008/03/25(Tue) -
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この4月からピカピカキラキラの小学一年生になる甥がいます。離れているため、
一緒に過ごせるのは年に一度、年末年始くらいですね。写真は去年の今頃、
「渦の道」へ行った時のものです。あいにく、訪れた時には渦が巻いてなくて、
でっかい渦を期待していた甥はがっかりでした。 しょんぼり 「うじゅ(渦)、まいてな
かった!!」って、何度も言うので、私は電球入場券に印刷された大きな渦の
写真を指さしながら甥に言いました。
「入り口のところに立ってる、あのおじさんに『渦、全然巻いてなかった~』って
言ってきぃ。」
そしたら、甥、言いに行きましたねぇ~。入場券を見せながら、「うじゅ、まいて
なかった~」「まいてなかった」と何度も訴えてました。係のおじさんは孫のよう
なお客さんからのクレームにかなり困惑し、プロとしてどういう返しをするのかな
ぁ~、と見ていたら、「ここに渦が巻いてる時間が書いてあるけん、今度来る時
は、おかあさんに渦が巻いてる時間に連れてきてもらってね汗1」って。
一応、係のおじさんにそう言われ、戻ってきた甥でしたが、全然、納得はしてな
かったですね~。また機会があれば、大きな渦が巻いてる時に「渦の道」に連
れて行ってやりたいですね。ぐるぐる

「渦の道」から話は逸れてしまいましたが、卒園・入学ということで、気持ちだけ
お祝いをさせてもらおうと、「キャラブロック ポケモン ディアルガセット」を注文
しました。事前に甥の母親に「キャラブロック ポケモン ディアルガセットは喜び
そうかな?」とメールで聞いたところ、そばに甥がいたので、ディアルガの画像
を見せたら、「いるいる!」と即答し、「徳島ね~ね(私のことです)からだよね?!」
「いつとどくの?」と、大喜びしていたようです。でも、どうして私からだとわかっ
たのかな?って、甥の母親に再び聞きましたら、「甥が好きそうな、高級なオモ
チャをくれるのは、徳島ねーねだけだから。」と書いてありました。

甥。なかなか鋭いですねぇ~。でも、私、そんな、高級なオモチャ、買ってないん
だけどなぁ~。それに、甥が好きそうなオモチャというよりは、私が好きなオモチ
ャなんだけどなぁ~。苦笑い このディアルガもブルー系で、かっこよかったから。
もちろん、ディアルガなんてキャラクター、今日初めて知りました。
運動神経がよく、ガッツがあって負けず嫌いな甥です。きっと今頃はディアルガを
今か今かと待っていることでしょう。何か、会いたくなってきました。ハート
                                          
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畏れ
- 2008/03/24(Mon) -
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私のウォーキングコースに観音様がおられます。おられます、と言っても
お寺を取り囲む塀に沿ってL字に歩くため、境内出入り口で私がお見かけ
する観音様はいつも横向き、3時の方向を向いておられます。境内入って
すぐのところに観音様は立っておられるので、境内に入れば、どんなお姿
なのか拝見できるのですが、何となく入りにくい雰囲気のお寺で‥‥。
だから、いつも3時の方向を向いていらっしゃる白い観音様に向かって、時
には観音様の背中越しに失礼とは思いつつ合掌し、通り過ぎております。
考えごとをしていて、ご挨拶を忘れる時もあるけれど~。苦笑い

観音像や菩薩像を眺めていると、途端に時間がいつもよりゆっくり流れ始
めるような感覚に囚われます。男性的であり、女性的でもあり、そんな中
性的な様子が気持ちを緩やかにさせてくれるのでしょうか。写真の像は、
昨日、薬王寺で撮影したものです。柔和なお顔を眺めていると、こちらまで
柔和になり、眉間の縦皺も次第に消えていくようで‥‥。
(※実際に眉間の皺が消えることはありません。シミも取れることはありません。)

「畏れ」というのは、とても大切な気持ちだと感じています。
昨日も茨城県のJR荒川沖駅周辺で8人が殺傷された事件がありましたが、
人が人を傷つけ、殺める事件があまりにも多すぎて‥‥。「畏れ」というもの
抱き、感じられるような人であったなら、また少し違っていたのではないかと
思うのです。親鸞はそれを「宿業の縁」によるものだとおっしゃるけれど‥‥。
(神や仏を)敬い、かしこまる気持ち。慎み、憚る気持ち。昔は持ち合わせて
いたはずの「畏れ」が、時間とともに風化しているような気がしています。

私の中では、「畏れ」というのは、心にひとつ、小さく印された赤いシミ○
ように感じています。何かしら、小さな悪事に手を染めようとすると、この赤い
シミ○を思い出すというか、「だめですよ!」って、歯止めをかけてくれている
ような感覚があり、同時に絶えず「見られている」という感覚もありますね。
何なんでしょうかね。どこにいても見えないものに縛られているような感覚。
「畏れ」という気持ちは、どうやって子ども達に伝えていったらいいのかな、
って思います。また、自分はどうやってこのような「畏れ」の感覚を抱くよう
になったのかな、って。そこここに八百万の神がいると思うと、楽しいでは
ないですか、ねぇ。笑い。
「畏れ」のみならず、「感じ取って、想う」ということは、とても大切なことだと
私は考えています。不易であってほしいものの一つなんです。キラキラ

‥‥しかし、今の時代、見えない何かを畏れるとか、感じ取る、とかいう
心は、理解しがたいんでしょうかね。「オバハン、バッカじゃないの!」
って、一蹴されるのがオチでしょうか?!                                  
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ナップン サラム
- 2008/03/23(Sun) -
朝、皆さんはどのようにして起きていますか?目覚まし時計ですか?とけい
それとも、携帯電話のアラーム機能ですか?携帯 えっ、時間が来れば、
自然と目が覚めるって?!それは凄いですね~。
私は最近、「コッナル」という音楽で起きています。私の車の中で初めて
「コッナル」を耳にした後輩は、「春のお花畑をイメージさせる曲ですね」
と言いました。はい。正解です!非選択
「コッナル」というのは、韓国語なのですが、日本語に訳すと「花の日」と
なります。それまでは「蒼龍」という、これから戦場にでも行くようなとても
勇ましい曲に起こされていましたので、「コッナル」に起こされる毎日が
穏やかで、心地よいです。(※「コッナル」は『黄眞伊』のOSTに挿入されています。)

4月から、韓国ドラマ『黄眞伊』を観てみようかなぁ~と思っておられる
かたへ、ドラマの中で「クデ ボセヨ」とともに、非常によく使われている
歌がありまして、「ナップン サラム」という歌なのですが、訳してみまし
た。(こういう内容の歌なのか)とわかった上で作品をご覧になれば、
また印象が変わってくるのではないか、と思われます。「クデ ボセヨ」
もそうなのですが、全然完璧な訳ではないですのでご容赦くださいね!苦笑い

 (※韓国ドラマ「ファン・ジニ」のNHK公式HPはこちら↓)                           
  http://www3.nhk.or.jp/kaigai/hwangjiny/index.html    
 (※韓国ドラマ「ファン・ジニ」のKBS公式HPはこちら↓)      
http://www.kbs.co.kr/drama/hwangjiny/about/cast/index.html                         
    
                                    鉄線

「悪い人」

傷つきながらも心に深く留めてくれましたね。私を休ませてくれた温かい手
後どのくらい しんどいのでしょうか? 全て忘れたように 忘れて生きるように

記憶が本当に憎いでしょう? 毎日 間に合っているのに雨が降るように流れます
あなた わからなかったでしょう?もう二人でないと生きられない私を
今でも 恋しくて 恋しくて 負かされたように泣いている私を知っているの? 
狂おしいほどすごく会いたい 一服するように 少しだけ立ち寄って行ったあの人

何も残ってはいないですね 辛うじて探しあてた思い出の一つも燃やしたら
時間だけが儚いのでしょう どうして私は忘れることができないのか
今でも 恋しくて 恋しくて 負かされたように泣いている私を知っているの? 
狂おしいほどすごく会いたい 一服するように 少しだけ立ち寄って行ったあの人

過ぎ去った日の記憶を全て どうかお願いです
もう一度だけ 戻って来てください。哀願すれば聞くふりをしてくれますか?
わかったところでどうするのです 私のようなものに優しかった悪いあの人

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今日のお誕生日!
- 2008/03/23(Sun) -
今日は私の父親の誕生日なんです。71歳になりました。jumee☆party1
アルコール絵文字名を入力してくださいと、スポーツ観戦手書き風シリーズ38テレビが大好きな父親ですね。
これからも、頭も身体も元気で、長生きしてもらいたいです。
3月23日、お誕生日おめでとうございます!!ショートケーキ

                          鉄線
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大浜海岸と歩き遍路
- 2008/03/22(Sat) -
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美波町の大浜海岸まで車を走らせました。zoomzoom005 海岸の傍に親戚の墓が
あるんですね。那賀奥で暮らしていた頃、春と秋の彼岸になると必ず、
"ひわさのばあさん"が我が家の爺さん、婆さんの墓参りに来てくれて
おりました。私が子どもの頃、日和佐から那賀間の道路はあまり整備
されておらず、日和佐や牟岐など南へ出かけるたび、くるくると曲がり
くねった凸凹道に、私と弟はゲロゲロ車酔いし、泣かされておりました。泣 
「日和佐に出かけるぞ!」と言われるのが、昔はとても恐怖でしたね~。
"ひわさのばあさん"も昔、何時間もバスに揺られ、墓参りに来てくれて
いたと思うと、(大浜海岸に行かなくちゃ!)という気持ちになりますね。
"ひわさのばあさん"は、実に人がよくって、義理堅く、小柄で可愛らしい
おばあさんでした。

hiwa1_convert_20080322154520.jpg

それから薬王寺にも寄りました。瑜祇塔を見ると、日和佐に来たなぁ、
って実感します。薬王寺の上がり口で、お遍路さんが托鉢をしておら
れました。そのお遍路さん、おじいさんと思いきや、話してみるとおば
あさんだったのでびっくり!ビクッでした。おばあさんと言っても、60過ぎ
でしょうか。愛媛のかたで、陽に焼け、とても元気そうでしたが、胃と腸
の大きな手術をした、とおっしゃってました。もう30回もお四国さんを廻
られたそうで、「一周廻るのにどれくらいかかるのですか?」とお聞きした
ら、「2ヶ月」とおっしゃってました。(思いの外、早く廻れるんだなぁ~。)にこり 
ご自分の身体ほどある大きな荷物が傍に置いてありました。「いつも
これを背負って歩かれてるんですか?」とお尋ねすると、「ええ、そう
ですよ。」と‥‥。気がつけば、買ったばかりの天津甘栗を「これ、食
べてください!」と渡しておりました。食い意地の張ってる私にしては
実にめずらしいことです。苦笑い

美波町までの行き帰り、多くの歩き遍路とすれ違いました。実にいろんな
年格好のかたが大きな荷物を背負い、中には足を引きずりながら歩いて
おられます。「ただひたすら歩く」、「ひたむきに歩く」姿とすれ違うだけで
心は何かしら刺激を受けますね。そして、いろんなことを想います。人間と
いうのは、自分の心の持ちよう一つで、物凄く強くなれるもんなんですね。
托鉢のお遍路さんも実にいい表情をされていたし、そう言えば、"ひわさの
ばあさん"もお世辞にも美人ではなかったけれど、いい顔相をしてたなぁ~。
自分もいつかおばあさんになった時、彼女たちのようにいい表情してると
いいなぁ~。キラキラ
                                  鉄線

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『遊山箱』 7 (最終回)
- 2008/03/22(Sat) -
『遊山箱』  (3月15日掲載以降)

 父の故郷はとにかく生き物の宝庫だった。家の中にはヤドイシと
呼ばれる青大将まで棲んでいた。私は一度だけ玄関の土間でヤド
イシに出くわしたことがあるが、赤錆色の太くて長い蛇だった。草む
らや石垣の蛇は人の気配を感じて俊敏に行動するが、ヤドイシは
「構うな」と言わんばかりに少しも慌てなかった。祖母に言わせると、
家には一年中ヤドイシが棲み、家や家族をいろんな災いから護って
くれているのだと言う。だから、ヤドイシを殺生な目に遭わせることを
しなかった。ヤドイシに限らず、祖母はどこで蛇に出くわしても殺しは
せず、「はよ家へお帰り」と呪文のように唱えるだけだった。父の故
郷では二十センチ、二十五センチを超えるムカデやミミズは当たり前
だったし、大人の手を広げたくらいのクモも珍しくなかった。冬芽も山
村で暮らす間にカブトムシやクワガタムシ、クマゼミや女郎蜘蛛、オ
ニヤンマやハンミョウなどにすっかり魅せられてしまい、今では高校
の生物の教諭である。
 私は納屋の片づけに飽き、棚にあった桐下駄を履いて畑に出た。
足のサイズはあの頃から変わっていない。畑にはぬか漬けにした残
りの大根が土から何本か顔を出していた。
「あんた、どこの娘さんかいな?」
 昔、遊山をしたレンゲ畑のほうからおばあさんが立ち止まってこっち
を見ていた。見たことのある面影なのだが、咄嗟にどこの誰なのか思
い出せなかった。
「咲樂です。向田の、孫の」
「あぁ、咲樂ちゃんかえ。えっとぶりじゃな。元気にしよったで?この春
に結婚するんやってな。おめでとう。幸せになりないよ」
 声で思い出した。美容室のおばちゃんだった。美容室をやっていたの
で隣近所からパーマ屋のおばちゃんと呼ばれていた。私も六年間、ず
っとこのおばちゃんに髪を切ってもらっていた。見た目はすっかりおばあ
さんになってしまっていたが、声とかわいらしい物の言いようはあの頃と
少しも変わらなかった。杖を突きながら去っていくおばちゃんの後ろ姿を
見ながら、自分が感じている以上にもっと大きな時間が流れたような気
がしていた。
 私は履いていた桐下駄の片方を天に向かって蹴り上げた。お天気占い
である。落ちてきた下駄のオレンジ色の鼻緒は空を向き、「晴れ」を示し
ていた。
「黒田のおじさん、今でも元気で晴れてるかなぁ」
 あの頃、一年に一度の周期でいろんな行商人がやって来た。薬屋、下
駄屋、パッとライス屋…。どの行商人も壮年の一匹狼だった。
「今年もやって来ました」
 薬屋は小さな身体に大きな柳行李を背負い毎年そう言いながら姿を現
した。祖母が「薬屋はん、もうそろそろ来る頃やな」と言うと、それから三日
の内に薬屋がやって来たから不思議だった。使用した薬の精算と補充だ
けなら二十分もあれば充分だったが、薬屋は仕事を終えてからが実に長か
った。元々話好きなのか、祖母と馬合いなのか、行商先で起こったおもしろ
話やおいしい食べ物の話を聞かせてくれた。薬屋は祖母の漬けたタクアン
が大好物で樽から上げたてのタクアンを振る舞うと、代わりに私や冬芽に
薬の名前が刷り込まれた紙風船やメンコを友だちが羨ましがるほどくれた。
 下駄屋は薬屋と違ってびっくりするほど無愛想だった。商売道具を入れた
唐草模様の大きな緑の風呂敷包みを背中に一つ、両手に一つずつ持ち、
自らも下駄を鳴らしながら登場した。向田の家の斜向かいに醤油を売る店
があったのだが、その店の軒先が下駄屋の仕事場だった。下駄の注文を
受けると下駄屋は低いしゃがれた声で「鼻緒を選んで」と鼻緒が何百本も
入った箱を指さす。鼻緒が決まると、穴が三つ開いた下駄の台に瞬く間に
それを取り付けて履けるようにした。暇な時、下駄屋は細長いキセルを取り
出し、鼻の穴ほどの先端に刻みタバコを詰め、トンボの舞う秋の空を見上げ
ながらキセルをふかせていた。私は当時、粋などという言葉は知らなかった
が、子ども心に唐草模様の風呂敷やキセル、口数は少ないがやり手の職
人を少し異質に感じていたのかも知れない。私が今、履いている桐下駄は
中学三年の秋に下駄屋から贈られたものである。私は山村で暮らした六年
間、秋になると下駄屋の露天に入り浸った。小学校が終わるとランドセルを
背負ったまま露天に走った。鼻緒と下駄の台が出会って美しい下駄になる
過程を見ているのがとにかく好きだった。近所の顔見知りから頼まれ、鼻緒
を選ぶのも楽しかった。向田の男たちは「そんなに下駄が好きなら何足でも
買うたる」、冬芽まで「おとしだまでゲタこうたろか?」と言ってくれたが、私は
別に下駄が欲しかったわけではなかったし、履く機会もないからと断った。
正直、鼻緒は欲しかった。いろんな色模様の鼻緒を全種類、手元に置いて
おきたかった。三年ほどして下駄屋に「鼻緒選びの駄賃に下駄を作ってやる
から好きな鼻緒を一本選べ」と言われたことがあった。私は家族に言ったと
同じことを口にすると、下駄屋は刻みタバコをキセルの先から落としそうな勢
いで大笑いした。
「儂は今までほうぼうの町で下駄を作ってきた。それなりの腕やと自負してる。
下駄を作ったるから鼻緒を選べって言うた女も十人やそこらはおる。けど、そう
言うて鼻緒だけくれって言うた女は、あんたはんだけやわ」
 来春、県外の高校へ行くと話した時も餞別に下駄を作ってやると言ってくれ
たが、私は遠慮した。そのことが原因かどうかはわからなかったが下駄屋は
予定よりも早く、しかも、私が中学に行っている間にオレンジ色の鼻緒の桐下
駄を祖母に預け、次の町へ発ってしまった。桐下駄とは別にもう一つ同じ大き
さの白い箱があり、開けるとそこには色とりどりの鼻緒が箱からあふれるくらい
入っていた。黒田と書かれたその箱を私はいつも傍に置き引っ越しのたびに
自ら持ち運んだ。今でも疲れた時、その箱を開ける。鼻緒に触れながら眺めて
いると、波が引くように心が浄化されていくのである。
 パッとライスという米と砂糖だけでできた素朴な菓子を作る職人が来るのも
楽しみの一つだった。ここではパッとライスと呼ばれていたが、大阪の友人は
同じ菓子をポン菓子と呼んでいた。米を大砲のような筒型の機械に入れ、内
部に圧力をかけるために下から熱しながら米を焦がさぬよう機械に付いたハン
ドルを回し続ける。右手が怠くなったら左手に持ちかえ、計二十分ほどそれを
繰り返す。ハンドルを日に日に回し続けてきた職人の二の腕の力こぶがポパ
イのように立派だったのを今でも覚えている。圧を高めた状態から一気に減圧
すると機械から「バーン!」という爆音がして、中の米が三倍ほどの大きさに
膨らむ。膨らんだ米を衣装ケースのような四角いアルミの箱に入れ、そこへ飴
状に溶かした砂糖を入れ、絡めて出来上がりである。私は米よりマカロニの
パッとライスのほうが好きだった。マカロニは減圧されてカブトムシの幼虫ほど
の大きさになる。見た目は少々グロテスクだったが、味も触感もマカロニのほ
うが上だった。マカロニはこの職人のオリジナルだったのか、それ以後、あちこ
ちで暮らしたがお目にかかることはなかった。もう一度食べてみたいものの一
つである。
 もう一度食べてみたいものの中に椎の実がある。向田の家から歩いて五分
ほど行ったところに鎮守の森があり、神社までの一二〇段の階段の両脇に椎
の実が植わっていた。何本ほど植わっていたのだろう。小さくて焦茶の椎の実
は拾っても拾っても、何人が拾っても尽きることがなかった。拾ってきた椎の実
は生で食べてもおいしかったが、私はフライパンで乾煎りし、少し香ばしくなっ
たものを好んで食べていた。椎の実を食べようと私が乾煎りして菓子の空き箱
に入れておくと、知らない間に椎の実は減っていた。家の男たちは椎の実を人
間の食べ物ではないとバカにしていたけれど、実は煎った椎の実が大好きだ
ったのである。いつか、自分にも子どもができたら、あの鎮守の森へ行き、一緒
に椎の実拾いをし、私が祖母から教わったようにフライパンで乾煎りさせ、秋の
味覚の一つとして食べさせたいとずっと思ってきた。
 私の人生において、この山村での体験が最初で最後になっていること、ものは
少なくないが、最も強烈な印象を残しているものとして土葬がある。私は九歳の
時、初めて人の死を体験し、それが大好きだった母の死であったことはとても衝
撃的な出来事だった。為す術もなく母は病に倒れ、逝き、四角い箱に入れられ、
焼かれ、灰と化し、彼岸へ送られた。私にしてみれば何もかもが一瞬で、私の気
持ちだけが置いてきぼりを喰らったようだった。父も冬芽も同じような心境だったの
ではないだろうか。心の中にポッカリと空いてしまった隙間をなかなか埋められな
くて、私たち家族はこの山村で暮らすことになった。あの当時、この辺りでは火葬
場が遠かったこともあって土葬を行っていた。亡骸を納める棺は四角い箱ではなく
円柱、木製の大きな樽だった。その中に白装束の亡骸を体育座りの姿勢で納め
るのである。二度ほど親戚の葬式に呼ばれ、死に水を取るため丸い棺の中を覗き
込んだことがあったが、亡骸は眠っているようだった。不思議と母の亡骸に接した
時のような恐怖感はなく、周りの雰囲気も母を送り出した時のような、ただただ冷
たい雨が降りしきる感じではなく、お天気雨のようだった。私や冬芽に号泣され、
母は後ろ髪を引かれる思いでこの世を去って行ったのではないかと思うと、母のこ
とも笑顔で送ってあげられたらよかったと今でも思う。棺に丸い蓋をし、縄をかけ、
それを血族の男たち何人かが担ぎ上げ、家族や親族とともに集落を練り歩きなが
ら山の上の墓地へと向かう。辺り近所は自分の家の前で亡骸に手を合わせ、お見
送りをするのだが、墓地までのそんな名残の光景が小学生の私の目にはとても気
高いものとして映っていた。

 父の故郷は四季を通して私たち姉弟を退屈させなかった。ここで暮らした六年間
は本当に日々の暮らしに飽きることがなかった。おかげで私も冬芽も母を失った寂
しさから護られていたような気がしている。当たり前のように都会にあったものがこ
こには潔いほどなかったけれど、不思議と不自由は感じなかった。それよりも都会
が持ち合わせていない、幾らお金を積んでも手に入れることができないものがこの
山村には数え切れないくらいあった。あの六年の間にしか経験できないことも多く
存在した。だから、私が独身最後の場所として濃密な時間を過ごした向田の家や
この山村を選択したのは何も不思議なことではなかった。
 桜の時期に生まれたことで、私は亡き母によって咲樂と名付けられた。咲樂とい
う名がそうさせるのか、亡き母の血筋を受け継いでいるからなのか、私はとても楽
天的な女である。二、三年ほど前に「未婚、子なし、三十代以上の女性」は一括り
にして「負け犬」と表現され、インフルエンザのように瞬く間に流行してしまったため、
居心地の悪い思いをされた女性も多かったのではないだろうか。まだ私の婚約者
になる前の黄珍熙が「気にしないように」と東京から電話をくれたが、私は心の中に
とても短くて大ざっぱな物差ししか持ち合わせていない人たちが言っていることと
最初から気にしなかった。
 私の人生は昔から春に縁が深い。春を起点に物事が全て動いているように感じ
ている。三十年前、この家にやって来たのも春である。六年後、この家を後にした
のも春である。そして、ある年の春に哲学の道で黄珍熙に出会い、これから迎える
春にその韓国人と結婚し、東京で暮らし始める。
「おばあちゃん、冬芽の遊山箱も持って行っていい?ヂニと一緒に千鳥ヶ淵に遊山
に行きたいけん」
 婚約者の黄珍熙は私より六つ年下である。何でも歯に衣着せぬ勢いで話してくれ
る黄珍熙だが、「よりによってなぜ向田咲樂を選んだのか?」という質問にはいつも
微笑んでいるばかりである。生まれ育った国はそれぞれ異なるけれど、たぶん、黄
珍熙と私が持ち合わせている心の中の物差しがとても似かよっているのだと思う。
東京の桜が咲いたら、この赤と黄色の遊山箱に黄珍熙の好きなキンパプやチャプチェ、
チヂミやトッポッキを入れて遊山に行こう。そして、遅ればせながら彼との間に子ども
を授かったなら、今度は三人で遊山に行こう。
 私は桐下駄の土をきれいに払い、東京行きの箱の中に入れた。古き良き時代の思
い出に徒にしがみつくつもりは毛頭ないし、それを後世に語り継ぐなど大それたことも
私にはできない。ただ、母がめぐり会わせてくれたこの場所で、あの六年の間、私が
ずっと感じ続けてきた春の日差しのような温もりを、新しい家族との暮らしの中に織り
交ぜていくことが私のこれからの仕事のような気がしている向田の家族やこの山村か
ら受けた温もりは、私の心の中の遊山箱にきちんと整理され、涸れることなく、空にな
ることなく、ぎっしりと詰まっている。(了)
                          
 ※拙い小説を最後まで読んで下さったかた、どうもありがとうございました。鉄線
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済州島の青空
- 2008/03/21(Fri) -
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花の背景に青空、という構図の写真、個人的に凄く好きなんです。
このブログにも自分で撮影した「花と空」の写真を何枚かアップロ
ードしています。先日、「カブールに咲く花」で、ご紹介させていた
だいたアーモンドの花の写真も、ずっと保管しておきたい写真の
一枚です。

今日、アップロードしたこの写真も残しておきたい一枚。kissDN
私の韓国語の先生であり、友人でもあるYimさんからいただいた
写真です。撮影場所はお隣、韓国・済州島。カブールの空も澄ん
できれいでしたが、済州島の空も青くてきれいですよね~。
済州島には、まだ行ったことがないのですが、一度、訪れてみた
い場所です。

済州島には、国立公園に指定されている漢拏山(ハルラサン)と
いう山があります。標高1950m、韓国の最高峰であります。ユネ
スコの世界遺産にも登録されているようで、機会があれば登って
みたいです。山登りは特に苦手なのですが‥‥頂上でヒョンビン
が、わかめスープを持って、待っててくれるかもしれませんから~。苦笑い

samsoon2.jpg
 (韓国ドラマ「私の名前はキムサムスン」より・漢拏山にて)

この山の名前が付けられた韓国焼酎もあるんですよ。実においしい
焼酎で、フルーティで、フレッシュで、口当たりはまるで水のよう‥‥。
今まで飲んだ韓国焼酎の中では、ハルラサンが一番お薦めです。
済州島に行かれることがありましたら、是非、飲んでみてください。アップロードファイル
                               
                              鉄線

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クデ ボセヨ
- 2008/03/20(Thu) -
このFC2ブログは、ハングル文字が表示できるようになって
いないようですね。ハングル文字-普段、あまりお目にかか
ることはないと思われますので、ここに書きたかったのですが、
残念です。手書き風シリーズ汗1

ここ何年か、韓国の音楽ばかり聴いています。韓国でCDが
廃盤になっていないかぎり、いつも韓国版を取り寄せています。
日本のCDに比べて安価なことと、韓国版にしか納められてい
ない曲があったりしますので。当然のことながら、歌詞カードは
全て韓国語で書かれています。

こうして繰り返し聴いていると、気に入った歌は口ずさみたくな
ってきます。どんな内容の歌詞なのか、気にもなってきます。
カタカナで覚えて歌ってもだめなんですよね。すぐ忘れてしまう。
意味のないカタカナの羅列は覚えられないんです‥‥。
意味がわかった上でのカタカナはしばらく経っても頭の中に残っ
ているようです。実際はハングルを読んで覚えているので、カタ
カナではないのですが。

今日訳したのは「クデ ボセヨ」という曲です。訳すのに3時間ほど
かかりました。短い歌ですが、結構大変なんです。手書き風シリーズ汗1
まず、歌詞カードから歌詞をWordに書き写すことから始まります。
(この作業が一番大変!です。)書き写せたら、わかるものは訳し、
わからないものは翻訳機にかけ、それでもわからないものは日韓・
韓日辞典を引きながら、訳をつけていきます。完璧ではないにしろ、
ほどほどに訳せているのではないかと思っているのですが。苦笑い

「クデ ボセヨ」は、「あなた 見てください」という歌です。「黄眞伊」
のCDに納められていますが、愛する人に何を見てください、と言っ
ているのか、ずっと気になっていました。乾いた土に雨がすう~っと
染み込むように、韓国語が理解できたらいいんですが、なかなかの
ようです。
                               鉄線


「あなた 見てください」

いつもあなたを思っています。過ぎ去った昔を思い出します。
目を閉じて呼べば、そばにいるように
あなたは私を朗らかにします。

憶えていますか? 悲しいほどに
美しかったあの頃 添い遂げられなかった私たちの愛

あなた 見てください 恋しさに花びら桃の花02(白-明るい背景用)を刺繍し、
見てください ある美しい春の日に舞い散ったなら
あなたを忘れられない 私の心だと思ってください あなた

憶えていますか? 悲しいほどに
美しかったあの頃  添い遂げられなかった私たちの愛

あなた 見てください 涙で空に詩を書き、
見てください  ある青い夏に雨雨として降ったなら
あなたが恋しくて声をあげて泣く 私の心だと思ってください

私のために 悲しまないでください。

見てください 私の愛で一葉紅葉を染め、
見てください ある涸れた秋が紅葉したなら
あなたの想いに 赤く痣ができた私の心だと思ってください

あなた 見てください 風の便りに安否が伝わり、
見てください ある冷える冬に雪雪の結晶が降ってきたら
どこかで元気にやっているという 挨拶だと思ってください あなた

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彼岸中日
- 2008/03/20(Thu) -
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今日は春分の日絵文字名を入力してください、お彼岸の中日ですね。朝、起きた時にはすでに
この状態。ぼた餅ができあがっておりました~。
まめですねぇ~、うちの母親。にこり しかも、手早い!私もかなりまめで
手早いほうだと思うのですが、幾つになっても、何をやっても、この人
には勝たれへんなぁ‥‥って、最近、特に思いますね。ほんと、足元
にも及ばなくて。苦笑い

こうやって拵えたもののほとんどはご近所に配られます。作りすぎた
から配るのではなく、最初から頭の中にあの家とあの家とあの家と‥‥
そういうのがあるようです。そばで見ていると「自分のために」という
よりは、「人のために」がメインのように感じられます。とにかく、あげ
る、あげる。おいしいと感じたもの、いいと思ったものは、人に惜しげ
もなくあげてますね。それがそのまま私に受け継がれているようです。

私もそうなのですが、好きな人たちには何かして差し上げたいんです
よね。好きな人たちだけ、というのが小者ですね~。
別にそこに見返りを期待する心などなくて。旅行に行った時なども、人
のお土産を買う、買う。手書き風シリーズ37プレゼント手書き風シリーズ37プレゼント 懐に全く余裕などないにも係わらず、
です。母子揃ってただのお人好しなのかもしれません。それは、ただの
自己満足なのかもしれないです。もらう側としては要らないものもある
でしょう、たぶん。

‥‥でも、朝っぱらからこういうものを大量に拵えてる母が、私はとても
好きですし、誇りに感じています。花
聞いておかなければ‥‥‥思いつつも、いつも母があまりにも身近に
居すぎて、聞けていないことが山のようにありますね。現在の暮らしが
永遠ではないことを知りながら、「教えて」と素直になかなか言い出せな
くて‥‥。この辺の性格も母とそっくりなようで。jumee☆shy2

ここだけの話なんですが、実は私、あんこ嫌いなんですよね~。
                                     鉄線


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コミ4集 
- 2008/03/19(Wed) -
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韓国R&B界のディーバと言われているコミの4集「Comfort」が届きました。
韓国ではFirst Album、Second Album‥‥を、1集、2集‥‥と呼んでおり、
コミの4集ということは、コミの4枚目のCDということになります。メディア

コミの新しいCDが聞きたい‥‥と思いながら、3年が経ったのですね。
今夜は今からゆっくりと、カフェ・モカ(インスタントです。)を飲みながら
「Comfort」を"快適"に聴こうかな、と考えています。
                              鉄線
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慣れとは恐ろしいもので
- 2008/03/18(Tue) -
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鉄線の実家のすぐそばには川が流れています。写真中央あたりに
緑色の部分が見えますね?その上には木の吊り橋が架かっていて、
橋幅は狭く、1mほどでしょうか。車は通れません。通ることができた
としても切れる、鋏と思われます。高所恐怖症のかたは、おそらく
この橋を渡り切るのは難しいのではないかと‥‥。
「大丈夫!まん中を通るから」と一休さんのようなことを言ってもだめ
ですよ。手書き風シリーズ汗1 川面はきれいに見えますし、とにかく揺れます。自分の
重みで揺れます。高所恐怖症でない私でも、この橋はひどく頼りなげ
と感じ、渡りながら少なからず恐怖感がありましたから。

実家で泊まる、などということは、もう滅多になくなってしまいましたが、
泊まるとなかなか寝つかれないです。何が私の睡眠を妨げているの
でしょうか?さて、何だと思います?

正解は、川の音です。それからもう一つ。柱時計の音(振り子のカチ
カチ音、時を刻むボーンボーン音)です。どちらも日中は全然気になら
ないのですが、夜になると、周囲はとっぷりと静まりかえりますから、
川の音、柱時計の音がより鮮明に聞こえ、眠れない、となるわけです。
「うるさ~い!」(←何度も寝返りを打つ鉄線をご想像ください。苦笑い
柱時計の振り子は止めることができますが、川の音は止められない
ですからね。よほど疲れていない限り、熟睡はできません‥‥。
私は基本的に部屋が変わると熟睡できない人間で、いつでも、どこ
でも、横になった瞬間、寝てしまっている人が羨ましいやら、腹立つ
やらです。泣

昔、住んでいた頃は何れも全く気にならなかった音なのに、不思議
ですね。生まれた時から慣れ親しんだ音。子どもの頃はそれらの音
が聞こえていながら"雑音"に聞こえていなかったのでしょう。そう言
えば、最近、街へ越してきた古里の友人が「車の音がうるさくて眠れ
ない」「マンションが揺れて眠れない」と言ってたっけ。

慣れとは恐ろしいものですが、決して、慣れてはいけないものには
慣れてしまわないよう、日頃より気を付けたいものです。
                                  鉄線

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古里に咲く花
- 2008/03/17(Mon) -
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昨日、久しぶりに古里まで行ってきました。 zoomzoom005 R195沿いに車を
走らせること約70㎞。鉄線の実家の周囲は杉、杉、杉。残念ながら
花粉症のかたには過酷・劣悪な地域であると思われます‥‥。
春の日差しの中、デジカメを持って、家の周囲を少し歩きました。
そして、雑木林の中に写真の花を見つけました。キラキラ
昨日のアーモンドの花に続き、さて、何の花でしょう?わかりますか?

みつまたの花です。みつまた。和紙(紙幣)の原料、と小学生の頃、
習いましたね?!実は私もみつまたの花を見たのはこの日が初め
てで。枝が3つに分かれていたので、(みつまた、かな)と思いつつ、
確信がなかったので、家家に戻ってきてネットで調べました。
やはり、みつまたでした。雑木林の中でそこここにみつまたの木が
あった訳ではなく、この一本だけでした。元々、この辺りにみつまた
があったという記憶もないので、何年か前に、何処からかやってきて
根付き、野生化していったのでしょう。しかし、変わった花の付き方を
してますよね~。惹かれるようにシャッターを切っておりました。kissDN

歩き慣れた古里の散歩道でも、四季折々新しい発見があるものです。
でも‥‥、イノシシやニホンザル、ヘビに出くわさないかと、内心ヒヤ
ヒヤなんです。手書き風シリーズ汗1 (※実際、この日、ニホンザルを目撃しました!)                                    
                                 鉄線
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カブールに咲く花
- 2008/03/16(Sun) -
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アフガニスタンの友人からメールが届きました。写真はその時、一緒に
添付されてきたものです。あんまりきれいなので、"Tessen's Cafe"に
ご来店いただいた皆様にもお裾分けしますね!花 pkk

カブールで咲いていた花だそうで、何の花だと思いますか?桃?桜?
正解は、アーモンドの花。鉄線も初めて見ました。
先日、「-10℃を体験したいかたは‥‥」(3月12日付・「街角の風景」)
という記事を書きましたが、現在、アフガニスタンの日中の気温は20℃
を超えるようになっているとか。南部では30℃近くまで気温が上がって
いるようで、先月までの「-10℃、極寒の世界」はまるで夢のようですね。キラリラ

それにしても、アフガニスタンの空もきれいですね。「アーモンドの花と
青空」-ずっと眺めていても厭きない写真です。避難勧告地域のアフ
ガニスタンも、空は私たちと同じブルーなんですね。写真を見ていたら、
昔、書いたエッセーを思い出しました。
                               鉄線


~ キャパの写真展は映画のよう ~

  人々が一斉に同じ方向の空を見上げている構図の写真が
ある。一枚は身を硬くし、憂い顔で空を見上げ、もう一枚は警
戒心のない、くつろいだ表情で空を見上げている。何れも空の
様子は写されていないが、前者には視線の向こうに不安が見
え、後者には平和が見える。写真の中に見えないものが見え
た時、思わず立ち止まらずにはいられない。
  私の心に波紋を及ぼしたこの二枚の写真は、何れも二十世
紀最高の報道写真家の一人と言われるロバート・キャパ氏の
作品である。現在、K会館で彼の写真展が開かれているが、
展示されている三百点余りの写真はどれもこれも写真というよ
りは映画である。
  キャパの写真には感情があり、動作があり、ストーリーがある。
それらが決して届くことのない被写体の息づかいや体温までも
感じさせる。私は彼の残した作品の中で「パリの解放を祝う人々」
が最も好きである。
  人々が憂い顔でバルセロナの空に見ていたものは戦闘機で
あり、人々がくつろいだ表情でモスクワの空に見上げていたもの
は花火である。戦争の世紀と言われる二十世紀がまもなく終わる。
キャパが決して見ることのなかった二十一世紀はどんな百年を刻
むのだろう。同じ空を見上げるのなら、私はずっとずっと星や花火
や虹を見上げていたい。
              (T新聞・「ぺんる~む」投稿済・00/12/20)


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黄眞伊 2
- 2008/03/16(Sun) -
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今、配信されてきた「韓国広場」のメルマガを読んでいると、良い情報が‥‥。

「黄眞伊」が4月6日から、NHK-BS2のゴールデンタイムで放送されることが
決まったそうです。
ゴールデンタイム。なかなか、ゆっくり座ってテレビ鑑賞、というわけには
いかないと思いますが、機会があれば見てみてください。
セリフもさることながら、衣装、装飾品もすばらしいです。キラキラ
今、これを読みながら、「時代劇はちょっと‥‥」と思っておられるかた。
日本の時代劇といっしょにしてはいけません。苦笑い 韓国ドラマは時代劇の
ほうが断然おもしろいんですから!!(あくまでも私の個人的な意見です。)
さぁ!4月6日のカレンダのところに「黄」と書いておきましょう~。うしし
知らない人が見たら、何か、意味深ですね!ん?黄色ってなんだ??
「かあさん、4月6日のとこに書いてある黄色って何だね?!」
書いた本人も何だったのか、忘れていたりなんかして‥‥。手書き風シリーズ汗1

韓国ドラマ「黄眞伊」。吹き替えでないことを祈ります。乞う、ご期待!花

                                     鉄線

 ※文章中の「韓国広場」って何だ?!と思われたかたは、リンクのところの
   「韓国広場」をクリックして覗いてみてください。私が日頃食べているキム
  チは、このショップからお取り寄せしているものです。
  今、食べておられるキムチに不満足のかた、是非、このショップのキムチを
  食べてみてください。キムチ以外にも色々な韓国商品を取り扱っていますし、
  黄店長(←偶然です)の書かれるメルマガも文章力に長けておりますので
  おもしろいですよ! 
   
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吾輩は猫である
- 2008/03/15(Sat) -
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先ほど生まれたばかりの「あみねこ」です。名前はまだありません。
(ペチュではありません。あしからず‥‥)
暖かい春の日差しの差し込む座布団の上でグッスリ眠っているよう
です。zzz どんな夢を見ているのでしょうか?
明後日には養子に出されるとも知らずに‥‥。
                                鉄線

 
※『あみねこ』と編み図の著作権はねこやまさんにあります。


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『遊山箱』 6
- 2008/03/15(Sat) -
『遊山箱』  (3月8日掲載以降)

「新しいお友だちやで。行っておいで」
 父にそう言われるまでもなく、私は冬芽の手を引き、甘い香りを
放つ赤紫色の絨毯の中へ飛び込んで行った。恥ずかしがり屋の
冬芽は私の背中に隠れてモジモジしていたが、集まってきた女の
子たちから「かわいい」を連発され、冬芽の頬はリンゴのようだった。
私と同じ背丈の女の子がレンゲで編んだ王冠を頭から外して私の
頭に乗せてくれた。仄かに甘い蜜の香りがする王冠。冬芽も同じよ
うに三つ編みの女の子からレンゲの首飾りをかけてもらい、頬にキ
スされるとますます顔を真っ赤にして今にも泣き出しそうだった。父
たちはそんな様子をしばらく見てから先に家に戻って行った。家は
町道から見ると二階建てで、レンゲ畑のある反対側から見ると三階
建てだった。正直、向田の家は物凄く古かったけれど、とても大きな
屋敷だった。
 レンゲ畑では私と冬芽を囲み、遊山の続きが行われた。各々の遊
山箱を円陣の中心に集め、もてなしてくれようとしたが、お重の中は
どれもこれも空っぽに近かった。自己紹介を聞きながら私は初めて見
る遊山箱に興味津々だった。同じ遊山箱は一つもなかったし、このお
重の中にはどんな食べ物がどんなふうに詰められていたのか、食い
しん坊の私は気になって仕方がなかった。もっと間近で見てみようと
遊山箱に手を伸ばしかけた時、自己紹介を終えた男の子の一人が自
分の遊山箱を手早く片付け、レンゲ畑を後にしてしまった。不思議な
ことに誰も彼を止めなかったし、その訳も聞かなかった。そして、いつの
間にかレンゲ畑は私と冬芽と冬芽に首飾りをくれた女の子の三人にな
ってしまった。私は田舎の子どもたちとうまくやっていけそうな気がして
いただけに、彼女らの思いの外の不作法に少なからずがっかりしていた。
「冬芽、私たちもそろそろ家へ帰ろうか?」
 私がそう言いかけた時、一番最初にレンゲ畑から出て行った男の子
が戻ってきた。
「ごめん、ごめん。かあちゃんに巻きずし、巻いてもらいよったら遅なって
しもた」
 その子に続き、家に帰った他の子どもたちも次々と息を切らしながら
ダッシュで戻ってきた。勿論、手には遊山箱やジュースを下げている。
自己紹介を終えた子どもたちはそれぞれ家に帰り、遊山箱を食べ物で
満タンにして、再びレンゲ畑に戻って来たのである。
 四国には昔から八十八ヶ所を巡るお遍路さんに対して民衆が施しを
行う「お接待」という文化があるが、大学の文化人類学の授業の時に
その言葉を知った時、私の脳裏にはすぐさまこの日の遊山の光景が
浮かび上がった。宗教や信仰に無縁なはずの子どもたちの中には既
にお接待の心が培われていて、それは子どもが言葉を覚えるみたい
に日々の暮らしの中で当たり前のように身についていくのである。そこ
には特別な計算も思慮もなく、ただそうしたいという純真な心が在るの
みである。「お接待」は四国が誇れる崇高な文化だと私は誇りに思っ
ている。
 あの日、レンゲ畑に再び並べられた九つの遊山箱は圧巻だった。レン
ゲの赤紫色に負けないほどの色とりどりの遊山箱が並べられ、よく見れ
ば遊山箱の側面に描かれている絵も桜や梅、鞠や兜、鯉のぼりや新幹
線など九つとも全部違っていた。箱の中から三段のお重を引き出すと、
三段とも一色で統一されているもの、一段ずつ色の違うものの二種類が
あった。
「ちっちゃいたんすみたい」
 私の隣で冬芽がそう呟いたが、正にその通りだった。見ているだけで
心をワクワクさせてくれる不思議な箱だった。お重の中は家によって中身
も味も少しずつ異なっていたが、上段にはういろうや寒天を固めたもの、
フルーツなど、中段には卵焼きやゆで卵、お煮しめなど、下段には巻き寿
司やハマチの寿司、いなり寿司や赤飯などが詰められていた。私はもて
なしを受けながら「田舎の子は不作法」と思ったことを心の中で詫びた。
そして、遊山箱が空になる頃にはすっかり山村の子どもたちの虜になって
しまっていた。冬芽も男の子たちの輪の中に溶け込んで楽しそうにしている。
冬芽のそんな姿は久しぶりだった。
 それから五分も経たないうちに一人の女性が自分と冬芽の名前を呼びな
がら駆け下りて来た。祖母だった。祖母は小柄だったが、垢抜けていてきれ
いな人だった。
「ドーナツ揚げよったら遅うなってしもた。これ、赤いのが咲樂で、黄色いのが
冬芽やけん、ケンカしたらあかんでよ。ドーナツはぬくいうちにみんなで食べ
ないよ」
 祖母が赤とか黄色と言ったのは遊山箱の色のことで、祖母は私と冬芽の
ために遊山箱を用意してくれていたのである。祖母から遊山箱を手渡される
時の冬芽の嬉しそうな顔といったらなかった。きっと、私も冬芽と同じ表情を
していたに違いない。私の赤い遊山箱には舞妓さんの絵が、冬芽の黄色い
遊山箱にはロケットの絵が描かれていた。
「うわっ、きれい」
 お重を広げた時、周囲からそんな歓声が上がるほど祖母の弁当は色彩豊
かで、箸をつけてしまうのが勿体ないほどだった。私や友だちは既に満腹で
スカートのウエストがきつかったが、色彩や香りに魅せられ、私と冬芽のお重
とドーナツのそばには甘味に群がる蟻のようにみんなが集まった。そして、ド
ーナツが三十個近く入っていた大きなかんぷくろもお重も一気に空になってし
まった。
「おねえちゃん、山にきてよかったね」
 冬芽もこの山村が気に入ったらしい。越してきた日がたまたま遊山の日だっ
たことを私は幸運に感じていた。遊山のおかげで私たち姉弟は思いの外、す
んなりと新しい環境に溶け入ることができたのである。
 父の実家では初めて見るものが本当に多かった。汲み取り式の和式トイレ
もその一つだった。それは茶の間横の廊下から三間ほど畑側に突出した洗面
所兼トイレで、洗面台の奥に男性用、そのまた奥に女性用のトイレが一つずつ
あった。
便器から肥溜めまでの距離は家一階分は優にあった。中で何かがうごめいて
いそうな和式トイレの暗くて深い穴、明かりは昔ながらの裸電球一つ。薄暗く
だだ広いトイレへ夜一人で行くのが恐ろしく、慣れるまでは姉弟誘い合ってトイ
レや歯みがきに行った。待っている者がトイレに絵本や雑誌を持ち込むように
なってからはイスが置かれた杉の木切れを釘で打っただけの垢抜けないイスだ
ったが、立ち読みしながら待っている者のために誰かが置いてくれたのだろう。
「おねえちゃん、このイス、だれがつくってくれたん?おじいちゃん?」
「おじいちゃんはもっとうまく作ると思う。トイレの神様が作ってくれたんと違うかな。
待ってる冬芽の足がだるくなりませんようにって」
「トイレにもかみさまがおるんか?」
「神様はあちこちにおられるけん。それより冬芽、お姉ちゃんも紙様が必要やわ。
棚からトイレットペーパー持ってきて」
 冬芽とトイレの中で交わした会話も今となってはとても懐かしい。また、おっ
ちょこちょいの私は肥溜めにトイレの備品やポケットの物を度々落とし込んでは
祖母に叱られた。トイレのスリッパ、トイレットペーパーを留めておく芯棒、小銭
入れ、人気歌手のプロマイドを入れたパスケース、ハンカチ、単語帳、髪止め、
自転車の鍵など。
「今頃、肥溜めの中で萬屋が開店しとるわ」
 祖母に呆れられるほど私はいろんな物を落とし込んだ。あの頃、大ファンだっ
た西城秀樹のプロマイドを落とし込んだ時には己のそそっかしさを心底恨んだ。
 和式トイレは年寄りの足に負担が掛かることから十五年ほど前に洋式の水洗
トイレにリフォームされ、今、当時の面影は少しもない。畑横の肥溜めには土が
入れられ、ゆずの木が植えられていたが、その下に私が落とし込んだ物が埋ま
っていると思うと、私自身も穴があったら入りたい気分に駆られる。
 五月の子どもの日には冬芽のために色とりどりの鯉のぼりと五月人形が用意
された。鯉のぼりのサイズは大小様々、色も五、六種類はあっただろうか。最も
大きなものは大人一人がすっぽり飲み込まれるほどだった。私や冬芽は多くの
中から自分の身の丈に合った鯉のぼりを探し出し、その口に自分の足を突っ込
み、ウエストまで引き上げた後、押しくらまんじゅうをして遊んだ。茶の間でドタ
バタ大暴れするものだから例のごとく祖母に叱られた。鯉のぼりも五月人形も
父親のお古が殆どだったが、大阪のマンションは狭かったため、鯉のぼりと言
ってもカツオくらいの大きさのものが三匹だった。世の中に自分よりも大きな鯉
のぼりが存在することに冬芽は驚き、それが全て自分のものだと祖父から聞か
されると部屋から部屋へと声を上げながら走り回った。家の茶の間のベランダ
から畑の端に建てられた杉の木までロープが張られ、鯉のぼりは目刺しのよう
に何十本も吊り下げられたその中に「冬芽」と名前が刷り込まれた大きな金の
鯉のぼりを見つけた本人は、今度は隣近所を狂喜乱舞で走り回った。
 一つ残念だったのは首が揺れる針子の虎を冬芽が恐ろしがったことである。
父の針子の虎の傷みがひどかったため、祖父が一回り大きな針子の虎を新調
してくれて、自らもタイガースファンであるのに針子の虎を見るたび大泣きした。
祖父が買ってきた針子の虎は高かっただろうと思う。薄明かりの下で見ると眼
が光って今にも飛びかかって来そうなほどリアルだった。私たち姉弟が陰で
「母親の居ない子だから」と言われないよう、祖父母が何かにつけ気遣い、気
に留めていてくれたことを、私は後になって記憶を反芻する中で気づかされる
のだった。
 梅雨の頃になると、田んぼの用水路周辺に小さなヘイケボタルが乱舞した。
図鑑やテレビでホタルを見たことはあったが、実際に光を放ちながら飛んでい
るホタルを見るのは初めてだった。夕食後、私は毎日のように冬芽と二人で
ホタル狩りに出かけた。最初の頃は闇の中の水辺ということで父や祖父が交
代で付いてきたが、私や冬芽が飽きることなく、また、家の茶の間から懐中
電灯の明かりが確認できる場所だったから、いつの間にか大人は来なくなっ
てしまった。あの頃、田んぼに農薬を使っていなかったこともあり、水は頗る
きれいだった。ホタルの幼虫の好物であるカワニナやタニシが豊富で、ホタル
はそこここに湧いたように生息していた。おかげで友だちとホタルを狩る場所
でケンカになることはなかった。採集したホタルは味付け海苔が入っていた
五リットルのガラス瓶の中に湿らせた草を敷き詰めてから放し、習字紙でフタ
をして楊子で空気穴を開けた。私たち姉弟は真っ暗にした寝間のベランダに
ホタルの入った瓶を置き、幻想的な天然の蛍光灯を蚊帳の中から飽きるまで
見ていた。そして、見るだけ見たらその日のうちにホタルを放してやった。
 向田の家で暮らすようになってから最初の三年間は親子三人同じ部屋で
寝ていた。ある年のホタルの頃、蚊帳の外でホタルが光っていることがあった。
「あっ、おねえちゃん、ホタル」
「うん。私みたいに方向音痴のホタルやね」
「はよ外に出してやり。今頃家族が必死になって、この子のこと探っしょるだろうから」
 蚊帳の中で三人が川の字になって同じホタルを見て会話している。平凡だが、
二度とそうすることが難しいことを思えば、とても貴重な瞬間だったと思うのである。
三年間、私は川の字の真ん中で寝ていた。真ん中の取り合いで冬芽とケンカに
なったが、私はこれだけは譲らなかった。二人の間に居れば父や冬芽が寝ている
のか、寝ていないのかがわかる。声を殺しながら泣いているのもわかる。父が泣い
ていたら気づかないふりをして父に擦り寄っていけばいい。冬芽が泣いていたら寝
ぼけたふりをして小さな身体をギュッと抱え込んでやればいい。私が端にいてはだ
めだったのである。そんなふうに泣き虫の男二人に私は時たま母性を発揮すること
があったが、二人の間にいて一番安心して眠りについていたのは、もしかしたら私
自身だったのかも知れない。
 ホタルが乱舞すると同じ頃、私はこの世にとても美しい昆虫がいることを知った。
それはヤマトタマムシと言い、父が私や冬芽にずっと見せたかったものの一つだっ
た。全体的にカナブンのような緑色をしているのだが、平安朝を想わせる高貴な光
沢のある緑で、カナブンよりもずっとスマートだった。そして、その羽には同じように
光沢のある虹が縦にすうっとかかっていて、「奇跡に近い色づかいの昆虫」と父が
表現していたとおりだった。

                                  (つづく・土曜更新)
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- 2008/03/14(Fri) -
昨日の晩から今朝にかけて、かなりまとまった雨が降りましたね。
しかも、久しぶりの雨。外からの雨音に心地よさを感じながら眠り
につきました。朝、起きてみると、マイカーの黄砂がきれいに洗い
流されており、(Lucky!)恵みの雨でした。キラキラ

雨-韓国語では「ピ」と言います。例えば、「雨が止んだ」は、「ピガ 
クチョッタ」と言います。
もう一つ。日照り続きの後の恵みの雨を韓国では、甘雨、「タンピ」と
呼ぶそうです。→甘い(タルダ)+雨(ピ)で、タンピ。
美しい響きで、味わい深い、と感じたのを今でも覚えています。

今日はホワイトデーでしたね。思いがけず、鉄線も頂いたりなんか
してしまいました。ありがとうございました。手書き風シリーズ37プレゼント

                                 鉄線
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ゲンの悪いものをよける心配り
- 2008/03/13(Thu) -
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~ ゲンの悪いものをよける心配り ~

 口のところがかち割り氷のように欠けていたり、箸で軽く叩くと
濁ったような音を発てるヒビの入った器で食事を摂るのが余り好
きではない。
 好きではないと言うより、そんな器で「うまい、うまい」と食事を
摂っている自分が、何かしら無神経に思えて気恥ずかしい。だか
ら、私は自分の拵えた料理をそんな器に盛り、人に出さぬよう注
意している。まだ使えるかなと思っても心を鬼にし、潔く処分して
いる。
 割った卵に時たま血が混じっていることがある。出合ってはいけ
ないものに出合ったような気がして、そのまま排水口へ移す。稀
に料理の中に髪の毛が落ち込んでいることがある。やはり、見て
はいけないものを見てしまったようで、気づかれないように手早く
よける。何れも故意ではないにしろ、それが偶然にも自分に当た
ってしまうと、何となく不愉快な思いがするし、同時に少し哀しい
ような、ゲンが悪いような気持ちになる。
 私にとってお膳に並んだ器の欠けやヒビというものは、感覚的
には血の混じった卵や髪の毛の落ち込んだ料理と同じなのである。
出合って嬉しいものや、偶然当たって喜ぶものがあるように、その
逆も確かにあり、それが自分の心配り一つ、気遣い一つでよけら
れるものなら、最初からそっとよけておいてあげたい。

                               鉄線

             (T新聞・「ぺんる~む」掲載済・96/8/19)
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黄眞伊
- 2008/03/12(Wed) -
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韓国ドラマ「黄眞伊」のOriginal Sound Track(韓国盤)が届きました。
「黄眞伊」と書いて、「ファン・ジニ」と読みます。写真の中のハングルも
「黄眞伊」と書いてあります。
黄眞伊は、朝鮮王朝の中宗王時代(大長今でおなじみですね!)
に活躍した実在の女性で、美人で、歌・踊り・楽器演奏・漢詩など
全てにおいて優れた天才の妓生であったと言われています。
ドラマでは、ハ・ジウォンさんが黄眞伊を演じています。
このドラマの主題歌は「解語花」。韓国語で「ヘオファ」と読みます。
「もの言う花」という意味ですが、妓生の衣装を身にまとったハ・ジウォン
さん。花のように美しいですね!jumee☆mark6a

ドラマの中で、ジニは教坊(養成所)の童妓だった頃、特権階級である
両班のウノという青年と出会い、恋に落ちます。しかし、身分の違いや
ジニが妓生として稀なる才能の持ち主であることを見抜いていた教坊
の行首(ヘンス)、ウノの両親らにより、2人は引き裂かれてしまいます。
そして、身体の弱かった青年はこのことがきっかけで命を落としてしま
います。「親より先に死ぬとはけしからん。どこにでも捨ててこい。」と
言われ、ウノは葬式も出してもらえず、降りしきる雨の中、使用人が引く
粗末な荷車で棺は運ばれて行きます。
ウノが好きだったジニが暮らす教坊の前に使用人は暫し荷車を止め、
涙を流します。そして、それっきり荷車は動かなくなってしまい‥‥。
そこへジニが教坊から現れ、ウノが亡くなったことを初めて知ります。
棺の上に手を置き、左右に動かしながらウノに最期の言葉をかけます。
 寒さが苦手なのに
 お供の者もなく
 長旅なのに雨にまで打たれて
そう言いながら、着ていた上着を脱ぎ、棺にかけてやります。
 もう大丈夫でしょう
 少しは寒くないわね。でしょう?
 ここに長くいないで
 長くいると寒いでしょう
 あなたも忘れて、私も忘れて
 私たちへの残酷な仕打ちも全て忘れて
 全て忘れて行くのよ
 安らかに眠らないと
 心配しないで
 私も忘れるから
 2度と思い出したりしない
 だから、行って
 ここに心を残さず
 早く行って
ジニの言葉に、今まで動こうとしなかった荷車がゆっくりと動き出します。
5分ほどのシーンでしたが、後から後から涙が流れ、止まりませんでした。泣
その時、流れていたのが「ナップン サラム」という歌でした。「悪い人」と
いう歌ですが、今、その曲を聴きながらブログを書いています。

                               鉄線

  
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街角の風景
- 2008/03/12(Wed) -
先日(2月26日付、カテゴリ;エッセー)、アフガニスタンの記事を書きましたが、
JICA アフガニスタン事務所のWeb内、「街角の風景」が3月11日に更新され
ています。冬のアフガニスタンの極寒な様子がリアルに伝わってまいります。
雪の結晶-10℃を体験したいかたは是非、読んでみてください。

JICA アフガニスタン事務所のWebへは、右下のリンクから「街角の風景」へ
進んでください。
                                     鉄線 
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こんにちは、赤ちゃん!
- 2008/03/11(Tue) -
毎晩、小一時間ほどウォーキングに出ています。その時、いつも持って出るのが
ふるーつ☆Cultivation・りんごiPod Shuffle。Big Mama、コミ、シン・スンフン、チョ・ソンモなどの韓国音楽が
200曲近く入っています。それを聞きながら、時に歌いながら歩いています。♪
歩くついでに音楽を聞いてるというよりは、音楽をゆっくり聞きたいがために歩いて
いるようなもので、音楽を聴きながら、風を感じながら歩く1時間は、私にとっては
貴重な癒しの時間になっているようです。

小さい頃、私は口が実に達者だったようです。おとなしく控えめで上品な今となって
は、その片鱗も見られませんが‥‥。(ん?あちこちからツッコミの声が聞こえる。)
私は1歳になる前に「こんにちは、赤ちゃん」を歌ってたそうで、(時代がバレる?!)
母が「こんにちは~音符」と歌うと、私が続けて「あかちゃん」と歌い、母がまた
「わたしが~」と歌うと、私が「ママよ~ルン♪」と歌っていたそうです。
そして、1歳3ヶ月までには、現住所と自分の名前、それから、父が添い寝しながら
歌い聞かせてくれた童謡をほとんど覚え、歌っていたとか。かわいかったでしょうね!
その片鱗は今でも残ってますよね!(またまたブーイングの嵐か?!)jumee☆SaturdayNightFeverL

日々暮らしながら、音楽に助けられている、と感じることがたびたびあります。
生まれた頃より、私のそばに音楽が在ったことを思えば、音楽を聴かない日はない
現在(いま)の暮らしも、別段不思議なことではないようで。花

                                      鉄線


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コメントの仕方がわからない
- 2008/03/10(Mon) -
今夜もTessen's Cafeへようこそ!Brilliant

Tessen's Cafeをオープンして1ヶ月が経ちました。
最近、ブログ、「お気に入り」に入れてます、とか、ブログ、
まめに見てます、写真、楽しみに見てます、というメールを
よくいただきます。いつもTessen's Cafeにお越しいただき、
どうもありがとうございます。店の前をたまたま通りかかり
来店してくださった皆様もありがとうございます。嬉しいです!
それから、いつもコメントや拍手を入れてくださるかたもあり
がとうございます。全て継続の励みになります。にこり

さて、「ブログ見てます」と同じくらい「コメントの仕方がわか
らない」というメールをいただきます。笑い。
ということで、今夜はコメントの仕方について少しだけ~。

この文章の「拍手」の下をご覧ください。日付・カテゴリ・コメ
ント・トラックバックと書かれていると思いますが、
①「コメント」の文字のところをクリックしてみてください。
②「コメントの投稿」という枠が出てまいります。
  Titleのところにタイトルを、Nameのところにお名前を入力
  していただき、
  コメントの枠に言いたい放題書いて、
③「投稿する」をクリックしてください。
④今、書いたコメントの確認ページが出てきます。
  それでよろしければ送信してください。
⑤書いていただいたコメントは、Web右側「最近のコメント」に
 上がってまいります。

それでは、コメント、お待ちいたしております!!アップロードファイル
おやすみなさい。
                             鉄線


※3月14日にブログのテンプレートを"春の装い"に替えましたので
  ①のコメントのクリック位置が移動しております。コメントの
  クリックは、日めくりカレンダー下の、CO(コメントのことです。)
  の数字の部分にカーソルをあてていただくと、クリックができ、
  コメントを投稿する枠が出てまいります。以下、やり方は同じです。

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知足者富
- 2008/03/09(Sun) -
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江戸時代から咲き続けているという蜂須賀桜。時代が変わり、人も変わり
ゆく中で、この世の何を目の当たりにしてきたのか。人々の数え切れない
ほどの視線や気を浴びながら、桜は何を想い、感じながら生きてきたのか。
話すことが可能なら、是非、問うてみたいものだ。

写真の小鉢は、私の祖母が高度経済成長期に宿屋をしていた時に使って
いたもの。祖母と言っても、祖母と入れ替わるように私が生まれてきたため、
私の中に祖母の思い出は残念ながら少しもない。古めかしい絵の描かれた
小鉢。時の流れの中で、また、人が去来する中で、数え切れない人々の手
のぬくもりから喜怒哀楽を感じてきたであろう小鉢は何を想い、人の何を見
つめながら生きてきたのか。話すことが可能なら、是非、問うてみたいものだ。

桜や小鉢。古いから美しいと感じるのではなく、見返りを求めず坦々と生き続
けてきたからこそ、美しいのだと思う。
「求めない」。
「求めすぎる」のは見苦しい。求めたとおりにならないからと相手に癇癪を起こ
すのはもっと愚かなことで、端から見ていると哀しく切ない。
求めなくなった瞬間、心はこれほど穏やかで楽であるのに。

老子は「知足者富」「足りるを知ることが富」とおっしゃる。米文学者の加島祥
造さんは、これを「足りることによって自分のなかに富を見つけはじめる」という
意味に捉えている。「足りることを知る」とは、物質の富から自分の心の富へ
の転換なんだ、と。(「老子と暮らす」より)

自分の心の満足ばかり考えていては、当然のように見返りを求めていては、
足りることを知るのもままならず、腹が立つばかりである。世の中には、手に
入れたくても手に入れることができず、苦悩している人たちが大勢いる。自分
のことだけでなく、桜のように広く大きな視野で世の中を眺め直してみると、
恵まれた自分、幸せな自分に気づかされるのではなかろうか。足りることを
知ることで、つまらない癇癪や怒り、嫉妬などはなくなると思うのだが‥‥、
人の心、桜が季節を違えず花を咲かせるほど簡単にはいかないようで。

                                 鉄線


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蜂須賀桜
- 2008/03/08(Sat) -
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とある武家屋敷に江戸時代から咲き続けているという桜を見に行って
きました。咲き具合はまだ二分三分でしたが、3月のこの時期、一足
先に桜を楽しむことができ、ちょっとだけ得した気分です。さくら
ブログをご覧いただいている皆様にも、蜂須賀桜のお裾分けです~。

今、かぼちゃを焚いています。焚けたらウォーキングに行こうと思って
います。今日の夕飯は、かぼちゃの煮物とテンジャンチゲ。今日は
独りゆえ、コチュジャンをたっぷり入れて、いつもより辛い炎チゲに
仕上げるつもりです。もうそろそろ、かぼちゃが焚けた頃かな‥‥。

次、生まれてくるなら、私も桜がいいなぁ~。キラキラ

                               鉄線

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お一人様の晩ご飯です。オッサンの食卓みたい‥‥。にこり


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