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侏儒の言葉
- 2008/06/19(Thu) -
芥川竜之介 著 「侏儒の言葉」より

 ・人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのは莫迦々々しい。
  重大に扱わなければ危険である。

 ・人生は落丁の多い書物に似ている。一部を成すとは称し難い。
  しかしとにかく一部を成している。

 ・文章の中にある言葉は辞書の中にある時よりも美しさを加えて
  いなければならぬ。

 ・文を作らんとするものは如何なる都会人であるにしても、その魂
  の奥底には野蛮人を一人持っていなければならぬ。

 ・宿命は後悔の子かも知れない。-あるいは後悔は宿命の子かも
  知れない。

 ・あらゆる言葉は銭のように必ず両面を具えている。例えば「敏感な」
  という言葉の一面は畢竟「臆病な」ということに過ぎない。

 ・わたしは度たびこう言われている。-「つれづれ草などは定めしお
  好きでしょう?」しかし不幸にも「つれづれ草」などは、未かつて愛
  読したことはない。正直な所を白状すれば「つれづれ草」の名高い
  のもわたしには殆ど不可解である。中学程度の教科書に便利で
  あることは認めるにもしろ。

 ・古典の作者の幸福なる所以はとにかく彼らの死んでいることである。

 
ここで使われている侏儒(しゅじゅ)とは、見識のない人の蔑称であり
ます。芥川の「侏儒の言葉」という本の中から、心揺さぶられた文章
(短いもの)を拾ってみました。個人的に私は「徒然草」が好きなんで
すが、芥川に言わせると、ぼろクソですね。読みながら、イスから転げ
落ちそうになりました。ニコニコ。 正面

下記のスイレンは昨日の朝、開花したものです。美しいので載せてみ
ました。十人十色。人に限らず、花も同じなんですね‥‥。同じ鉢の、
同じ色のスイレンでも、先週開花し、ブログでご紹介させていただいた
スイレンとは、何となく別の雰囲気を醸し出しているような気がします。
そう思いませんか?同じように見え、やはり、ひとつひとつに「顔」が
異なるのですね。

実は文章も同じなんです。その人の独特の書きよう、言い回しがあり、
性格、人柄などもそこには反映され、笑い。文章を読むだけで、誰が書い
たのかわかるときがあります。私も自分の書いた文章に「灰汁」が出て
やしないか、暑苦しすぎやしないか、など ‥‥ いつも心に留めながら
書いています。
                              鉄線
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