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『カラザ』
- 2008/06/24(Tue) -
下記は、2003年の今頃に書いた短篇小説です。鉛筆
普段、なかなか目にすることのない、また、耳にすることもない
職場での夫の様子を、妻がある日偶然知ることになったら‥‥。
家では満点のパパも職場ではどうなんだろう‥‥。
ふと、そんなことを思ったのがきっかけで書き始めた小説です。

                              鉄線



「カラザ」


 二年前、一粒種の亜衣を県外の大学に出してしまってから、
原田貴恵は夫の詩文とともに結婚当初のような甘露な夫婦水
入らずの生活を送っている。
 お互い二十四の時に見合い結婚して以来、共稼ぎで家を空
ける以外は大抵何をするのも一緒である。ショッピング、映画、
旅行、観劇、図書館、テニス、散歩など、夫婦なのだからいつ
も一緒に行動するのが当たり前と、その価値観も似ている。
 詩文の家事分担は結婚以来、今も変わらない。結婚したらそ
うしようと決めていたのだ。料理のレパートリーは貴恵には敵わ
ないが、味覚は詩文のほうが優れている。何年か前からは見
様見真似で簡単なケーキも焼けるようになっている。貴恵の誕
生日にはハート形のチョコレートケーキを焼き、亜衣の誕生日に
は小さな平屋だが壁がクッキー、屋根が板チョコのお菓子の家
を拵えて祝ってやった。自炊経験のある詩文は台所に立つのが
面倒ではないのだ。貴恵が育児休暇でしばらく家に居た時も詩
文はそれまで同様、家事の半分を受け持つことに変わりはなか
った。妻のご機嫌を損ねたくないとか、共稼ぎだから、とあきらめ
でやってきたわけではなかった。とりわけ、亜衣のオムツ交換や
入浴、離乳食作りは貴恵よりも楽しんでいた。だからかどうかは
解らないが、亜衣はどちらかと言えば詩文寄りの子どもだった。
同じように働き、また同じように家事をこなしていても、亜衣は「パ
パ、パパ」と詩文に懐き、尊敬もしていた。その亜衣も大学生に
なり、東京暮らしである。亜衣に毎晩のようにメールを送る詩文は
まるで亜衣の彼氏みたい、と貴恵は呆れている。亜衣から返事が
来た、と言って喜び、メールを打ち返す詩文を見ていると少し妬け
もした。

「卵に黄身と白身を繋いでる白い紐みたいなのがあるでしょう。
‘カラザ’って言うんだけど、貴恵のところはカラザで繋がれた黄身
と白身みたいね」
「そうそう、結婚して二十年にもなるのに今でもベッタリなんだから」
 貴恵と詩文を「カラザで繋がれた黄身と白身」と例えたのは貴恵
の友人たちである。貴恵も詩文もこの比喩をとても気に入っている。
「いい例えね。気に入ったわ。で、どっちが黄身でどっちが白身?」
 貴恵にそう返され、友人たちは顔を見合わせ苦笑した。彼女たち
も内心、夫ともう一度キュッとカラザできつく繋がれた結婚当初のよ
うな暮らしがしてみたいと思いつつ、今では黄身と白身がすっかり
離れてしまい、今更どうにもならないことを知っている。半分やっか
みが入っているのだ。
 詩文は貴恵の友人たちに受けがいい。日頃からジムで身体を鍛
えている詩文は小柄で童顔なこともあり、四十六だが実際より五つ
六つは若く映る。二十年経っても家事を分担し、狸みたいに腹が出
ていないところに友人たちは高得点を付けるのだ。貴恵もそんな夫
が自慢である。事実、詩文は優しかった。その上、子煩悩だった。
友人たちの前だからといって良い恰好もしなければ、恥ずかしい真
似もしなかった。いつも穏やかで、夫婦喧嘩は一度もなかった。
 貴恵が詩文との結婚においてたった一つ不服があるとすれば、子
どもが一人しかできなかったことだ。しかし、それは詩文の所為では
ない。自分側の身体の不具合で二人目が授からなかったことを貴恵
は少し申し訳なく感じている。詩文にそんな類の話をされたことはな
かったが、子煩悩な詩文が亜衣を溺愛しているのを目の当たりにす
るたび、もう一人、二人産みたかったと出来もしないことをうだうだと
強く願うのだった。
 
 二年前、原田家は転機だった。亜衣が県外の大学に進学しただけ
でなく、詩文も会社が出資している半官半民の会社に出向になった
のだ。詩文の会社は蛍光体を中心とした精密化学品の製造・販売を
やっている県内外でも名の通った会社であり、文系の詩文は総務方
の仕事をしていた。バブル期にできたその第三セクターには三、四年
の周期で一名出向に出されるのだが、このたびは詩文に御鉢が回っ
てきた。同じ外に出されるなら会社の息の掛かった子会社のほうが
気分的に余ほど楽だったに違いない。詩文の新しい勤め先は十人足
らずの、しかも同じような‘御鉢’の集まりだった。互いのプライドからか、
またそれだけの能力と器なのか、出向者同士のコミニュケーションが
まるで取れない集団で、肝心のやっている仕事はと言うと、御上の下
請が殆どで、やりがいがある、というようなものではなかった。
 貴恵は地元銀行のパートを続けている。十年ほど窓口に座っていた
が三五を過ぎてからは少し後ろに下がり、窓口から回されてきた出入
金のチェックをしている。パートにも二、三年に一度、支店間の異動が
あるが、貴恵は最近、詩文の出向先近くの支店に替わったばかりで
ある。会社の近くの支店ということで、仕事中に偶然出会うのもおもし
ろいと思い、貴恵は異動のことは内緒にしていた。
 結婚以来、詩文の昼は貴恵の愛妻弁当と決まっている。弁当のほう
が休み時間をゆっくり過ごせるからいいのだと言う。出向に出されてか
らは接待などないため、弁当を食べた後は休憩室に缶コーヒーを持ち
込み推理小説を読んでいる。原田家は現在、家や車のローン、亜衣へ
の仕送り、学費‥‥と何かと物入りの時期である。「弁当のほうがいい」
と言うだけで前夜の残り物を詰めても文句一つ言わぬ詩文を貴恵はつ
くづくできた夫と感じているが、貴恵自身は昼休みくらいは喧噪から逃
れたくて、詩文には申し訳ないと思いつつ週に三日は外食している。
外食先は銀行横の「ジョイフル」という洋食屋である。席数が多く、簡単
なパーテーションで仕切られた枡席もあり顔を差さない。貴恵はそこの
エビクリームコロッケにご執心だった。

「エビクリームコロッケ定食をお願いします」
 ある昼休み、貴恵がいつもの定食を注文していると、通路を春らしい
萌葱色のベストとスカート、白いブラウスを着たOLが賑やかに通り過ぎ
た。三十前後の三人はパーテーションを挟み、貴恵の後ろの席に座った。
一人はモデルのように長身で、一人は発育不良の小学生のような体つき
で、もう一人は二人の中間ほどの背丈だったが、小太りだった。(見事に
大中小ね)と貴恵が心の中で呟くや否や、大中小は堰を切ったようにしゃ
べり始めた。
「事務所にいると毎日イライラするわね。プリンタが動かなくなった、壊れ
たと言って、還暦前の男三人がプリンタの前であーでもない、こーでもな
いと大騒ぎ」
「そうなんですよ。ただトナーがなくなってるだけなのに。何でピンとこない
んですかね。トナー切れなんて、事務所に来てから初めてじゃないのに」
「トナーがないとようやく解った後もトナーの予備がどこにあるのか解らない。
また、それをどう交換するのかも解らない。トナー換えるだけに共用のプリ
ンタを一時間も止められたらたまんないよね。何回繰り返せばできるんだ
ろう」
 仕切越しにOLたちの会話を聞きながら、貴恵は(どこも同じ)と頷いてい
た。女は全ての男は機械物に長けていると信じているが、それは女の得
手勝手な思い込み、単なる妄想に他ならない。詩文にしても音楽鑑賞、映
画鑑賞は好きだが極めて機械音痴である。テレビとビデオの接続配線す
らできない。パソコンとプリンタの接続、インターネットの設定をしたのも貴
恵である。詩文は家電が動かなくなったら電気屋で迷わずパンフレットを
もらってくる口である。何か不具合があると道具箱まで走り、ドライバ片手
にサササッと直してしまう男に女は惹かれるのである。亜衣が歩き出した
頃、玄関の三和土と廊下の間に高さ十五センチほどの台を詩文に作って
もらった。亜衣が上り下りしやすいようにと貴恵が頼んだものだが、貴恵が
何かの拍子に片足を台に乗せた瞬間、台は紙箱のようにひしゃげてしまった。
                                 
  (つづく・次回掲載は随時です。)

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コメント
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掲載楽しみにしてます。
2008/06/24 09:10  | URL | しろ子 #-[ 編集] |  ▲ top

- これは -

これは、フィクションですから。v-216
2008/06/24 09:18  | URL | 鉄線 #-[ 編集] |  ▲ top

- 価格比較を手軽に -

拝見させていただきました。
同じ買い物でも、ショップによって値段が変わるのは不思議なものですね。
もっとも割安なところを調べるために、比較を上手に活用したいところです。
よろしければ、私のサイトも参考にしてください。
またお邪魔します。
2008/07/03 09:57  | URL | 価格比較を手軽に #-[ 編集] |  ▲ top


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