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掌編小説 『猫に聞け』(前編)
- 2018/07/22(Sun) -
NCM_1386猫の花

『猫に聞け』   (前編) 
        
 訟子(しょうこ)はひょうたん島にあるカフェで眉間に皺を寄せながら原稿を
書いていた。
 ひょうたん島とは、四国三郎という異名を持つ吉野川に形成された三角州
・徳島平野の東部に位置し、その支流である助任川、福島川、新町川に囲
まれた徳島市中心街のことである。ひょうたん形の周囲六キロほどの中州
には鉄橋を含め二十以上の橋が架かり、ひょうたん形の継布(つぎぬの)を
ざくざくかがり縫いしたような鳥瞰である。新町川から助任川には無料の遊
覧船も周遊しており、徳島市が水都であることを実感させてくれる。
 物書き志望の訟子が余暇にパソコンを持ち込み、小説や随筆の原稿を書
いているカフェはひょうたんの底に当たる部分、福島川の傍らにある。いつ
も開店と同時に店に入り、川沿いの席を陣取るのが常である。窓から見える
川面の揺らぎ、煌めきが清々しく心地よい。一瞬、他郷の川を船旅している
ような爽やかさに包まれる。青空を背景にカモメが飛ぶのも美しい。カモメの
中に時折、雰囲気の異なる鳥がいて、不惑を五年ほど過ぎても独身で、世
間の器に納まることなく何かに拘りながら生きる様(さま)はカモメの中のミサ
ゴに似ている。
 訟子はアメリカに嫁いでしまった親友から管理がてら格安で一軒家を借り
ている。いつか物書きとして食べていけるようになったら家を買い取ってほし
い、と言われてから十年が経つ。仕事も給料も冴えない会社に勤め二十年。
贅沢しなければ何とか女独り生活してゆける。事務主任という可もなく不可
もない肩書に嫌気がさしながらも、きっぱりと辞めて物書きになる覚悟も甲
斐性もない。可もなく不可もない一番は自分だとわかっていても決して口に
はしない。
 日々同じように見える暮らしもゆく川の流れのように決して同じではなく、
どんな泡沫(うたかた)が浮かび上がってくるかわからない。自分の書きよう
が心に幾ばくかの波紋を広げることも感じている。書くのが苦にならないう
ちは書き続けよう。いつも同じ結論に辿り着く。訟子は無常の理(ことわり)
を実感させてくれる川が好きである。生まれてこの方、ずっと川の傍らで生
きてきた。これからも川の傍らで暮らしながら、春秋(しゅんじゅう)という名
の川に翻弄されつつ、護られつつ、強かに生きてゆく気がしている。
 借家がある徳島市住吉はひょうたん島の少し外れ、住吉島川の畔にある。
住吉は街路の狭い住宅密集地で広範囲なこともあり、巨大迷路のようであ
る。友人知人、その他諸々、借家にすんなりと来られた試しがない。
 半月ほど前にも男が袋小路に追い込まれ、訟子の家のインターホンを気
が触れたように鳴らしたことがあった。上司の家に通夜に行く途中で道がな
くなってしまったらしい。(とろこいなぁ)という訟子の表情が男に伝わったか
どうかはわからないが、上司の家まで案内すると言うと、手を合わせて安堵
の表情を浮かべた。上司の家は訟子の家から一キロほど離れたところにあ
る大きな屋敷で、花輪が数え切れぬほど並んでいた。
 通夜に送り届けた帰り、訟子は壊れたオモチャのように「すみません」を繰
り返しながら歩く男を思い出していた。男からはナフタレンとチョコレートの香
りがした。喪服の後ろ身頃の裾上げが解れていたが、通夜の間、気になる
といけないと思い、黙っていた。
「何処からともなく現れた黒い泡沫。久しく留まりたる例(ためし)なし」
 大岡川に架かる橋の欄干を這い回る舟虫を目で追いながら、不意にそん
なセリフが訟子の口から衝いて出た。方向感覚の極めて鈍い喪服男に二度
と会うことはないのだろう。橋の上で立ち止まると、黒い泡沫のように痩せた
三日月を見上げた。
 それから暫くして、訟子の家のインターホンが再び鳴らされた。今度はゆと
りある間隔である。扉を開けるとモクセイの香りがふわりとし、黒い泡沫が立
っていた。訟子は思わず「あ、」と声を上げた。古田は到底、一人では食べき
れない量のチョコレート菓子を抱え、道案内の礼にやって来たのである。今
時、スマホやガラケーを持たず、上司の家にも自力で辿り着けぬ古田のこと
が道案内をしながら何となく気になっていたのは確かだった。
 古田だけでなく、半年ほど前から家の庭に瞳の色が左右異なる白猫が来
るようになっていた。いつしか白猫は母となり、その後(のち)、子猫五匹をぞ
ろぞろ連れて来た。母猫は弛(たる)んだ腹をゆらゆらさせながら新しい恋に
走ったのか、やがて姿を見せなくなり、五匹だけが夕方になると遠慮なしに
餌を貰いにやって来た。
 最初は庭の片隅で鳴いていたが、広さが二畳ほどの物干し台まで上がっ
てくるようになった。訟子は犬も猫もこれまで飼ったことがなかったが、取り
あえず、寝泊まりするなら小屋がいるだろうと天井のない正方形の木箱を
横に寝かせて置いてやった。餌はおはじきのようなドライフードを買って与
えた。名前を漱石・百閒・寂聴・長明・兼好と付けてやる頃にはすっかり猫
の愛らしさに嵌まってしまっていた。
 時たま家にふらりとやって来ては飯を食い、泊まってゆくバツイチの古田
もまた六匹めの猫のようだった。物腰が柔らかく、慎ましやかだったが、珈
琲の話になると人が変わったようになり、豆や道具を一式買い揃え、御点
前を披露した。女は何かにつけ手早く、卒なくこなしているように見えるだ
けで、時間を気にしなければ案外、男のほうが何でもこなし、しかも綿密で
自分のものとすることができるのでないか。得手不得手はあるだろうが、
古田を見ていて訟子はそんなふうに感じていた。
「古田さんの珈琲、いつ飲んでもおいしい。行っきょるカフェのよりおいしい
と思う」
 古田は訟子より三つ年上だったが、珈琲に限らず褒めてやると子どもの
ように嬉しがり、子猫のように甘えてきた。こういうことの積み重ねが結婚
へと発展してゆくのだろうか。訟子は珈琲の香りの充満した部屋で古田に
抱かれた。部屋の外では猫たちが訟子を呼んでいる。古田は幼い頃、猫
に噛み付かれ、大人になってからは猫アレルギーとかで触ろうとするどこ
ろか見ようともしなかった。(つづく)
                              鉄線


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